あなたを手放すときこそ、一番きちんとあなたに向き合っているという悲しさ
「今さら向き合おうとしても、もう遅いから」
自分がものを手放す時は、いつもそのものに対して一番考えてあげる時間になる。
それは、人だけではなく、ものだって、そうで。
図書館の本の返却期限が来た時は、いっつも手にとって思う。
「これ、ちゃんと読んだっけ?」
「まだ読んでないところなかったか?」
「もっときちんと読んでおこうか?」
あるいは
「きちんと読んでないから、もうちょい読もう」
と途端に本を取り出したりする。
それまで、見向きもせずに
「後でね、後でね」
と思っていたり、
もはやそれすら思わず存在なんて意識の彼方にあったのに
自分のものにしたくなる。
手放したくなくなる。
そうやって読まずに返した本も山ほどある。
「今さら向き合おうとしても、もう遅いから」
という言葉を、別れ際にかけられていた友人を思い出す。
雲行きが怪しくなったことを察知してから、急に態度を変えたのだった。
が、遅かった。
「これが欲しい」
「これとつながっていたい」
そうやって、うまく向き合えもしないのに
ワガママに欲しい分だけ抱え込んで、
結局はぞんざいに扱ってきたことは、
一体どれだけあるんだろう。
春の季節はそのぞんざいな分が、たくさんたくさん見えてくる。
なあなあにとり持ってきたものが、
「卒業」「離任」「転勤」
はっきりと別れ、離れていく。
今まで大切に思ってもいなかったのに、
「うわあ、残念だなあ。離れたくないなあ」
大切に思っていたように振る舞ってみる、
そんなずるい自分もいる。
それで、
もうちょっと、触れ合っておくんだったなぁ
と思うのだけど、
例えば、図書であれば貸出延長したりすると、
それはそれでまたその余裕に怠けて、おざなりになっていく。
だから、来年度こそは
無理にいい顔をせず、引きつった笑顔で付き合うことなく
あれもこれも、手に入れたり振り向かせようなんて思わず
自分が向き合って少し余裕あるくらいの範囲にだけ、
まずは手を伸ばしてみようと思う。
手放さなくとも、きちんと向き合える範囲で。
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