いつまで先生に褒められて喜んでるんだ、大学生。先生のある一言が僕の大学生活に衝撃を与えた
頭が良い自分の将来に酔いしれていたんだと思います。
進路のことを考えていたぼくは、
大学の恩師に相談しにいきました。
学部2年の終わりの話です。
「政治のシステムについてこんな風にすべきだと考えています」
「研究することで、こんな興味も出てきました」
「政治的な弱者が…」
「ああ、立派ですね」
「こういう道に進んでみたらいかがですか?」
そんな風に褒めて欲しかったんだと思います。
しかし、恩師が言ったことはぼくが期待していたこと違いました。
実際のところ、最初の方は恩師も
「まあ、研究の道もあるでしょうね」
「社会起業家なんてのも仕事もありますね」
などと返してくれたのですけど
次にかけてくれた一言が、ぼくに今後ずっと衝撃を残すことになりました。
「で、そんなことを言っている佐藤さんは、今、何をしてるんですか?」
それまでのおしゃべりや強い主張が一瞬にして無音になりました。
何も、言えなくなってしまいました。
大学生になってまで褒められて満足するな
このときのぼくの頭の中にあったことを思い返すと
たぶんぼくは先生に
自分の頭の中にある理論の鋭さを褒めて欲しかったのだと思います。
先生も頭が切れるので、
きっとぼくが考えていることを褒めてくれるだろう、
素晴らしい構想だと褒めてくれるだろう、
と。
「ほら、先生、こんなに素晴らしいこと考えているでしょう?
ぼくの将来楽しみじゃないですか?」
完全なる承認欲求のかたまりです。
けど、先生はそれを褒めてはくれない。
まるでそれは評価の対象では無いというように。
そのようなことが頭の中にあって、
じゃあその上で、
これから何をしているのか。
それこそが評価の対象だったわけです。
「褒められたがり」の次へ行く
いくら立派なことを考えていても
「立派なこと考えてるでしょ?
ねえねえ褒めて」
と褒められたがっていては、大学生にもなれば何ともならない。
偏差値の高い大学に行くと理論武装が上手くなっていくのですが
理論武装したって、そもそも届けるべき人には届かない。
それは誰かをぶっ倒して、関係ない人は「ざまみろ」と言うかもしれないけど
その立派な考えが本来向かうべき場所を見失ってしまう。
んじゃその立派な考えを、君はどうしたいんだ?
誰かにペンで伝えたいのか?
あるいはシステムを作りたいのか?
ビジネスしたいのか?
それを伝えるべき人に、どう伝えるかが大事。
褒められたがりから、次に行けよ。
人に褒められて満足しているところから次に行けよ。
そう言われた気がしました。
かつてある人に
「きみは頭いいかもしれないけど、結局ふわふわしてるよね」
と言われたこともありますが、
たぶんこういうことを言いたかったのかなと思います。
***
「で、今何しているんですか?」
その言葉を受けて研究室を出たぼくは、数日後、
自分で組んだ理論(それは今思えば拙いものだったのですけど)を
実践の場に移すことにしました。
「討議デモクラシー」という理論を実践するために
自分でゼミを立ち上げ、まずはそこから始めました。
そこから、被災地への会議の開催やサポートなどに範囲を広げていくことになります。
「先生に褒められたい」は、もう終わり。
自分が頭の中で考えることをどうやって伝えるべき人に伝えるのか。
何か友達と話していて熱を持って出てきた話でも、
いつも終わった後に、あのちょっと冷めたような投げかけを想像するようになりました。
「で、今何しているんですか?」
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