外でだって僕は簡単にひきこもれる。どこでも同じ価格で同じ味が食べられるから
その朝ごはんを食べていて、淡々とした安心と虚しさを感じる。
東京にやってくる。
朝ごはんは何となくの感覚で、ファストフード店で朝食を食べる。
そう言えば仙台を出てくる前にも、全国展開するその店で同じものを食べた。
ぼくは朝食であんまり冒険したくはない。
朝食で失敗をすると1日がうまくいかない気がするから。
だから、同じものを同じ価格で、どこでも食べられるというのは、嬉しい。
どこでも同じ価格で、同じ味が食べられるようになる。
それは、安心感で。
特に驚きも感動もなく不満もなく、1日を始めることができる。
そして気づけばこの原稿も、
日本全国どこにもあるファストフードチェーン店の
いつも仙台で飲んでいるコーヒーを飲みながら、
そして耳につけたイヤホンからはいつも聞いている曲を聴きながら
仙台から持ってきたラップトップPCを使って書いている。
ただ
ガラス一枚を隔てて、その向こうに広がる景色だけが、いつもとは違う。
ぼくはそれをやや高い位置からたまに何の気なしに見る。
どこでも同じ価格で、同じ味が食べられるようになる。
どこでも同じような状況を作り出し同じことができる。
それは、安心感だ。
その一方で、その安心感は、「その時その場所」の緊張感を失う。
今、自分がどこにいるのか、という事の意味が、奪われていく。
予定通りの未来、予定通りの日常をつくっていくことができる。
そうして、ぼくらは簡単にひきこもれるようになる。
できるだけ新しいものや予想できないものや落ち着かないものを見ないようにして、
ストレスフリーな毎日を過ごすことができる。
けど、そもそもそのストレスって
どっから出てきて、どうしてぼくらは受け入れているんだろうか。
そこまでして向き合うべきストレスってなんだろうか。
その先はなんだろう。
不確定なものを避けて安心が広がる日常が実現した後には何があるんだろうか。
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