花火ってそういうことなのかもしれない
ぼくは、花火のときの「引力」の中にいるのが好きです。
どーんと遠くの空で鳴り始めると
ある人は自分の家の窓から顔を出して、花火を見る。
ある人は隣のあの人と一緒に手をつないで見る。
ある人は、ひとりで見る。
だれも何も言ってないのに、花火があがると、
まちが花火に向かって体を向ける。
花火をまん中に
まち全体がひとつのものを一緒になって見る。
だれかが号令したわけでもないのに。
そうすると感じるんです。
「ああ、ぼくはこの場所にみんなと生きてるんだなあ」と。
大げさですか? 僕もそう思います(笑)
けど、そう思わずにはいられないのです。
核家族がどうだとか、つながりを失ったとか、
そんなことが言われます。
確かにそうだろう、と思います。
ただ、それでも
どーんと大きくてきれいな花火が打ち上がる。
わーっと言って子どもが花火に走り出す。
笑って大人は追いかける。
ぼくはなぜだかそれに頬をゆるめてしまう。
それだけで、ひとつになる。
まちが、ひとつをともにする。
それは、変わらないんじゃないかと思うのです。
ひとりひとり、きっと感じていることは違うでしょうが
それでもその瞬間は見えるところで同じ光を見るんです。
同じ何かを感じるんです。
そういうことなのかもしれないな、と。
まちってそういうことなのかもしれない。
人と人ってそういうことなのかもしれない。
花火ってそういうことなのかもしれない。
と。