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人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

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たぶん、あなたの人生を変える言葉はインド料理屋で見つかる【『二度寝で番茶』Kindleセール】

血肉になる言葉っていうものが、人生を通して存在する。

それは何度も何度も読むことで、口癖になり、思考の癖になり、一挙手一投足にまで染み込んでいく。

けどそういう言葉って、いつだって日常の草っ原に隠れていることが多い。


二度寝の番茶』
を読んでいると、そういう言葉にたくさん出会う。

二度寝で番茶 (双葉文庫)


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筆者はシナリオライターとして『野ブタ。をプロデュース』『セクシーボイスアンドロボ』『Q10(キュート)』などの作品をつくりだした木皿泉さん。

この木皿泉さん、何が面白いって、夫婦二人で一人のシナリオライターとして活動している点。


http://www.kawade.co.jp/kizara/images/kizara_photo.jpg
画像木皿泉応援団特設サイト | 河出書房新社より




この『二度寝の番茶』をめくると、日常の片すみに落っこちていそうな言葉たちをたくさん見つける。

たとえば行きつけのインド料理屋で。
たとえば洗濯物を干しているとき。
たとえばワイドショーを見ているとき。



きらびやかな言葉で刺激されるわけではない。
けれども、その言葉を読むと、まるで排水溝の詰まりを起こしていた一本の髪の毛を抜くかのように、思考はどうどうと始まる。

こういう体験って多くの人がけっこう実感あることだとおもって。


そういうとき、ぼくらはふとコンビニにでも走っていきノートを買って、ペンを握って
言葉を発したり、言葉を書きたくなる。
文章なんて、これっぽっちも上手くないのに。


たとえば、退屈な毎日だと思うなら、「気まぐれな店」を読んでほしい。

主人がいなくなっても、カレーやラーメンは、あいかわらずおいしかったが、私はやがてその店に行かなくなってしまった。バイト君は何も変えようとしなかったからだ。
(中略)

「どこかへ行きたいなあ」と空を見上げて、この気まぐれな主人のことを思いだす


たとえば、人間関係がわずらしくなったのなら、「誰かを想う」を読んでほしい。

気づかぬうちに、何かをしてもらったことが引け目となって積み重なってゆき、その人にあらがえなくなってしまう。情にからめとられる、というのはそういうことだ。
 そうならない方法はただ一つ。「ありがとう」を言うことだ。感謝の言葉が届いた瞬間、やってもらった側もやった側も、気持ちは空へきれいに消えてゆくような気がする。

たとえば、仕事について悩んだとくは「初めての仕事」を読んでほしい

十年の間OLやってきた私にとって、仕事とはミスをしないこと、早く処理をすることだった。なのに彼らは、何回も何回も録りなおす。今できる最高を求めて、それぞれがありったけの能力を絞り出していた。そうかこれが仕事か、と私の頭の中で一挙に何かが崩れ落ちた。

そして人生に考えたとき。

コンビニではいつも同じ物が売られている。電車は年中、同じ時間にやってくる。
(中略)
私達は待つということをしなくなった。放っておいても、今日と同じ明日がやってくると思っている。


その他にも、お互いを「大福」「かっぱ」と呼んで対談するパートもある。
そこにも、日常の中で見落としがちな言葉たちがたくさん見つかる。



 ***


ぼくらは日常とその中の言葉に少し刺激物を求めすぎているのかもしれない。
血肉をつくりあげるのは、あんがい簡単で、さっぱりした言葉なのだろうと思う。


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日常の中で、意味のない断片をなんとなく探し求めて、それがふとした瞬間につながるのを待っているのだと思います。


木皿泉さんのゆるりとした世界観、おすすめです。


二度寝の番茶』は2015年12月28日の1日限定Kindleセール対象商品(199円)

二度寝で番茶 (双葉文庫)

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人生を、かっぽしよう
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紹介します。厳選本51冊で僕の大学生活6年間を振り返る - 人生かっぽ —佐藤大地ブログ

ほら、そうやって人間は自分より低レベルなほうへ他人を置きたがる【白ゆき姫殺人事件】

私は、私がわからない。
これが城野美姫という人間なのでしょうか。

私は、私自身について書いてみようと思います。
ここを出るのはそれからでも遅くない。

(『白ゆき姫殺人事件』より 城野美姫のセリフ)


http://ecx.images-amazon.com/images/I/81ku2%2B7XosL._SL1500_.jpg



「天は人の上に人を造らず。人の下に人を造らず」
とは素晴らしいことばだと思います。

人の上にも下にも、人を造らない。
天は。


けど、人はちがうと思う。



むしろは人は喜んで自分の下に人を造る。


人間は喜んで他人をじぶんよりも低レベルな人間と見る。


白ゆき姫殺人事件

http://ecx.images-amazon.com/images/I/91GFBYthHzL._SL1500_.jpg




先日ご紹介したAmazon Videoで「白ゆき姫殺人事件」を観ました。

copy.hatenablog.com


ぼくが大好きな湊かなえさんの作品です。
今回も、単なる犯人探しに終わらない人間のぐちゃぐちゃした感情が見える作品でした。

そしてぼくが今回この作品で感じたのは
「みな、じぶんが価値ある存在に感じたくて、じぶんよりも低レベルなところに人を置く」
ということ。

あらすじをざっと紹介します


http://ecx.images-amazon.com/images/I/81ClBdREkqL._SL1500_.jpg

長野県のしぐれ谷国立公園内で、
化粧品会社のOL・三木典子が滅多刺しにされ燃やされた遺体となって発見される。

テレビワイドショー『カベミミッ!』の制作を請け負う契約ディレクターの赤星雄治は、
知人の狩野里沙子から三木殺害に関する情報を知らされると、その内容をツイートし始めTwitter上で注目される。

赤星は狩野から三木に恨みがあるとされ、事件の日から失踪している同僚・城野美姫の存在を知る。

評判の美人だった三木の事件は、
いつしか勤務する会社の目玉商品になぞらえて
「白ゆき姫殺人事件」とネット上で呼ばれるようになる。 

赤星がワイドショーに取り上げるべく周辺に取材すると、
地味で目立たない城野は上司の篠山聡史と交際していたが三木に彼を奪われていて、
また同期として何かと比較される存在とされていた。

赤星は城野を犯人と断定して取材を進め、周辺社員たちの城野への疑いや、
篠山が城野からの手作り弁当を受け取るも迷惑がっていたことなどのツイートを続けてゆく 

(Wikipediaより抜粋) 

内容については、本作を観てほしいですが、
今回はこの作品を観て考えたこと、


「他人を自分よりも低レベルに置きたがる人間」


ということについて書きたいと思います。




じぶんが勝手に勘違いされていく経験はすぐそこにある


http://ecx.images-amazon.com/images/I/91EMjY%2BClXL._SL1500_.jpg





物語の中では、本人は全く何も語っていないのに城野美姫がインターネット上で犯人にされる。


同僚たちが城野のあることないことを語り、映像制作をする赤星がそれを面白おかしく物語に結びつけて、ワイドショーに流す。
そして、それを見たTwitter上の人もまた騒ぎだす。




これ
ブログ書いている人で、ちょっとバズったことある人なら特にわかると思うのだけど
インターネット上では特に
勝手な自分像が作られて一人歩きして姿を経験をしやすい。


ぼくも経験あるんですけど。


赤の他人か、ちょっとやりとりした人が、
じぶんのことを語りだす。

「きっとこの人こういう大学生活だったんだぜ」
とか
「こうに決まってるよ、こいつ」
とか。




インターネット以外でもそうで。






物語では、インタビューに答える人たちも、勘違いや噂にさらされていく。
やれあの人とあの人が
仲悪かったとか
付き合っていたとか
あいつはゴシップ好きだとか。

城野のことを聞きたいのに、身の回りの人間関係がぐちゃぐちゃしているのが観えてくる。

人間の複雑な感情が絡んでることが見えてくるんです。


そう、人間ってこうなんだろうと思って。


職場や街中で数回会ったくらいのひとが、じぶんのいないところで
「佐藤さんってああいう人だよね」なんて言ってたりするのを聞くと、
「どうしてそこまであの時間で判断できるんだろうな」
と悲しみや諦めにも似た疑問がもわっと浮かぶ。


ただ今日の鬱憤を晴らすようにして。
たまたま目の前を通り過ぎたからちょっといじっておくとか。
そういう感じの言葉たち。





そうやって、ちょっと見ただけで、そして一部見ただけで、
人間は他人を判断をして、周りにまるで全部お見通しよ、みたいに語っていく。

それがムクムクと大きくなっていく。




けど、それも状況によってコロコロ変わる。


多数がその人の見方をしたり、その人の正しさが証明されると、手のひらを返すとはまさにこのことよって感じで、意見がまったく逆になっていく。




だれが犯人か、どうして犯人かは、多数が決める。
じぶんが危なくないところから物を投げれば、投げ返される可能性は低いから。




コメント欄を見ていると、流れがすごく大事だって感じるんです。


最初にだれかがポジティブなコメントをすると
そのあとのコメントも不思議とポジティブになる。


けど、最初がネガティブだと、見事にネガティブ畑になる。


けれど、まただれかが勇気を出してポジティブになって、他が続くと、一気にポジティブ畑になる。







都合よく自分という存在を使いたいだけ


green light, red light : bell peppers (2013)
green light, red light : bell peppers (2013) / torbakhopper


人は誰かを踏んづけて、自分を確かめたい。


多くの人間が、だれかを下に見ることで、
じぶんがその上に少しでも立って
自分の価値を確かなものにしたい





結局、本作でも、
その連鎖が複雑に絡んで殺人を起こしていくという悲劇。
詳しくは本作を観てほしいけども。


人は誰かを踏んづけて、自分を確かめたい。


ぼくのブログが拡散したときもそうだし
他の人の記事や投稿が拡散した時の反応を見ていても思うけども
コメントのうち、ある一定数は、
必ず本筋とは関係のないとこで相手を小馬鹿にしたり
自分はもっと知ってるよ、当たり前だろそんなこと、みたいに見せようとする。


ブログじゃなくても、たとえば職場にも
何やったって「ハッ。そんなんやったってな……」
相手を下に見ることしか生きがいじゃない、みたいな人がいる。


無理やりにでも相手のレベルを低く見て、落とそうとするのです。
どっちかって言うと、その先の真実を指摘するよりも、
落とすことやドヤ顔することに快感を求めているって感じ。




そのとき他人の存在は、自分が安定感を持ちたいがための踏み台でしかない。
「すげー」「わー」みたいに見られるための、踏み台。




じぶんもそういうコメントをとっさにしたくなるときもあって。
有識者」ぶってる人間が、大したことも言ってないのにドヤ顔しているとき。
そこそこ良いこと言ってるときでも誤字脱字があって、ほら来たと言わんばかりに突っ込みたくなるとき。


けど、誰かに何も生まねえよな、これ。
と思って投稿する指を止める。
やっちゃうときもある。




そういう大衆の魔物みたいなのが、じぶんのなかにもいるよなって気づかされる。






***





そうやって、人は誰かを勝手に語るし、勝手に語るついでに踏み台にする。

そうして、今日の自分をちょっと楽にしようとする。

そういう自分を、この物語で見つけます。
大衆側だと思うんです。ぼくらは。


ターゲットが有名人だろうが素人だろうが政治家だろうが
ちっちゃな今日のおふざけが、バタフライエフェクトのように誰かの気持ちをゴリゴリと削っていく。


そういう卑劣なじぶんと向き合った気がします。


『白ゆき姫殺人事件』はこちら
白ゆき姫殺人事件 [DVD]


原作小説はこちら
白ゆき姫殺人事件 (集英社文庫)


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人生を、かっぽしよう

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