正直「あの日を忘れるな」の「あの日」を共感なんてできない。けど、それでもいい。
「あの日」をぼくらは共感しあえない。
「あ、あのときは入試前で、こっちいなかったんです」
「テレビで見てました」
と後輩に言われると、あーそうなんだ、とため息が出る。
黙祷をよびかける放送が各所で流れる。
道端で立ち止まり黙祷を捧げる人がいる。
ちらっと時計を見て「あの時だな」と思う人がいる。
「もういいよ、3.11とか」と電車内で言う人らも
周りがそういう状況なので
その瞬間にはほぼ強制的に、3.11に戻るようにされる。
3/11 14:46になると、少なくともぼくが住む宮城県ではあの日に戻らされる。
あの日を本気で思い出すとその複雑な感情に胸がつまる。
それでもあと何十年かしたら
「3.11? あれなんか事件あったっけ? テロだっけ?」
みたいな教科書の暗記項目みたいな扱いになるんじゃないかと思ってしまっている、自分。
あの日を共感できない人が、ぼくの周りに増えてきた。
けど、待てよ、とも思う。
「あの日を忘れない」
ぼくはこう思う。
たとえお互いが被災者だとしても、
あの日は違うし、分かりあえないし、共感できない。
けど、それでもいいと思った上で、それが必要だと。
続きを読む