存じ上げない人とぼくの関係
そのお墓に眠る人を、ぼくは存じ上げない。
きっと、ぼくの親や、親戚のおじさんおばさんも知らない人でしょう。
お盆に墓参りをしてきました。
きっとここに眠る人がこの場所に初めて眠りに来たときは
多くの人が涙を流すなどして哀しみに溢れていたんだろうなあと
ぼくは思いを巡らせる。
「あら、こんにちはぁ」
と言って、おじさんがぼくの知らない人に挨拶をした。
どうやらこれまた親族らしい。
ってことはぼくの親族なわけか。
ぼくが知らない親族ってどこまでいるんだろう。親族はでかい。
「いい盆だねえ」なんて言って
自分たちのお墓に花を手向けながら笑いあう。
こうやって後に生きているぼくたちは集まっている。
けど、ここに眠っている人をぼくは存じ上げない。
存じ上げない人に花を手向け、お茶をあげ、ごちそうをあげ
そして手を合わせる。
ちょっとだけ今の人の幸せを祈る。
「安らかにお眠りください。これからも見守り下さい」
ある意味、勝手だと思うんです。
何が嬉しくてこの人たちは聞き届けているんだろうなあと思う。
こうやって、誰かに手を合わせられる日が
ぼくにもいつの日か来るんでしょうか。
そのとき、ぼくは
その祈りを聞き届けられるくらい器大きいのだろうか。
大きなものに包まれているなあ、ぼく。