「裏切らない人は誰か」より「裏切られてもいい人は誰か」を考えるとラクになった
また裏切られた、だから信じられる人間としか一緒に居たくないんだ。
と、ぼくはよく思っていました。
そのぼくが大きく考えを変えたのは、
人間関係が嫌になってSNS離脱したときと
友人の他人の裏切りへの態度を見たからでした。
約束をすっぽかされて、彼は笑っていた。
「急に予定が入った」とか。
絶対に相手の嘘なのに。
彼はあまり気にしていない。
「おまえ絶対嘘つかれてるだろ」
と言っても
「あ、そうかもしれないですね、ははは」
とか、わけ分からないくらい笑ってる。
「でもいいんです、あの人に嘘つかれても。許しちゃう」
信じられない。
ぼくからしたら
「嘘をつかれてる」ということは
「裏切られた」ということで
それは「負けた」ということだから。
バカだよなぁ。
そう思っていました。
人間関係がイヤになりSNS離脱した
Rainy Window in Key West / diana_robinson
そのあとで
自分がいろんな人と人間関係でのいざこざを抱えすぎて
人間不信になったときがありました。
もういいや。
もう誰とも関わりたくない。
そうして、ほぼ誰とも連絡せず、
Facebookもアカウント休止をする。
(休止すると一時的に「いない者」となります)
このまんま、すべての関係を断ち切ろう。
バイバイ。
それで本当に楽になる。
人間関係のしがらみがないって最高だなぁ。
と。
そこからは
「どうでもいい人」
とだけ付き合うようになりました。
まあ、
損得もないし
好き嫌いもあんまり感じない。
連絡とかしばらく返ってこなくてもいい。
そしてある日ふと気づいたのが
いくらそういう人たちに連絡をシカトされたとしても
「まあ、いいや」
「あいつはあいつなりに忙しいのかもな」
と許せている自分がいたこと。
以前の自分からすると、
信じられないことでした。
何なんだろうな、この感覚は。
そのとき思い出したのが
人に嘘をつかれようとも、
ははは、
と笑っていた彼でした。
あのとき、ぼくと彼の決定的な違いは
「裏切らない人は誰か」と考えてるぼくに対して
「この人なら裏切られてもいいや」と彼は考えていた
という点でした。
「裏切らない人探し」は自分を苦しめる
そのときまで、
「他人を自分の思うようにコントロールしよう」
と必死だった自分がいました。
だから、他人を目の前にすると
ものっすごく頭を使って、疲れる。
けど、
「誰なら裏切らないか」
と考えていると、
まるで漫画『ライアーゲーム』
のように、
相手との心理の読み合いになる。
それは、とても疲れることなのです。
人間は何か裏を持ってるものだ
だからその心理を読もう
と考える。
信じられる人だけ、
裏切らない人だけ、
自分のまわりにいてほしい。
けど、それは本当に難しい。
自分を裏切ると意識してなくても
自分の期待通りではないことを相手がすると
ある意味で全部「裏切り」とか「信じられない」という考えになる。
そうすると、もう誰もまわりに寄せられなくて
その葛藤に自分が苦しむ。
「裏切らないのは誰か」
ではなく
「裏切られてもいいのは誰か」
そう考えるとずいぶん楽なんです。
だってそれは自分の中に耳を傾ければいい。
と思えるから。
まあ、そんなもんだろ、と思える。
誰かの心を読もうとするよりもずっとやりやすい。
SAKURAKO makes TeruTeruBozu. / MIKI Yoshihito (´・ω・)
ぼくは今、「裏切られてもいい人」を
少しずつ増やしている最中です。
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