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人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

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大切な人が「死ぬ手伝いをしてくれ」と言った

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自分が死ぬための手伝いをしてくれ。


脊髄を損傷し、寝たきりになった彼は、
信頼する人たちにそうお願いする。


そういうとき
あなたならどうしますか。

彼はどうして死にたかったのか

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映画『海を飛ぶ夢
25歳の時に頸椎を損傷し、
以来30年近くものあいだ
全身の不随と闘った実在の人物、
ラモン・サンペドロの手記
『地獄からの手紙』
(西: Cartas desde el Infierno; 1996)
をもとに、死を求めて闘う、
主人公を描いたドラマ。



彼は寝たきりになり、
回復の見込みのない自分の状況を
堪え難い精神的苦痛として
人間としての尊厳を保つため死を望みます。



しかし
自殺しようにも
体を自由に動かせず
自分の力では死ねない。


「車椅子の生活は、
 失った自由の残骸にしがみつくことだ」


「たとえば、キミがそこにいる。
 わずか1メートルの距離は、
 常人には、僅かでも、
 でもボクにとって無限だ
 キミに触れようと手を伸ばしたくても
 永遠に近付けない
 だから、死を選ぶ」    


彼が周りにかける言葉が
胸を締め付けてくる。


そして彼は
自分の力で死ぬことがないので
信頼できる周りの人に対してお願いする。
役割を分担し、それぞれが殺人罪にならぬ程度に
自分の自殺を助けてもらうように。


そんなお願いをされたとき


どうするでしょうか?

安楽死のかたち、日本の現状、増える安楽死旅行

いま、大切な人の死を見つめます。

安楽死にも色んなかたちがある

beans, some beans!!
beans, some beans!! / Stuti ~


ラモンの言う死と言うのは
安楽死のひとつです。
もう少し詳しく言うと
安楽死の中でも
「積極的安楽死」というほう。



ここでは、安楽死の種類について見てみることで
安楽死と言っても色んな見方があることを通して
死のあり方について考えて行きましょう。


見てみるのは
「積極的安楽死」と
「消極的安楽死」の
二つです。


実はこのふたつ、似て非なるものなのです。



まず積極的安楽死を見てみます。
wikiから積極的安楽死
引用してくると


積極的安楽死とは

「回復不可能な病気・障害」
+
「終末期」
+
「耐えがたい心身の苦痛」
を伴う疾患の患者の
自発的意思に基づく要求に応じて、
法律が定める積極的安楽死の条件を
(法律にある場合は)
満たした場合、
医師が患者を死に至らせること。
一般的に致死量の薬物を
投与する方法が採用される


どういう状況かと言えば
たとえば、ラモンのように脊髄損傷で
ほぼ身体が動かなくなった人が
自分で望んで薬を使うことで
死ぬと言うことです。



「積極的」安楽死と言われているのは
薬などを使うことで死に近づくから。


さて、今度は「消極的安楽死」です。


治療すれば延命はできるけど
本人、それが不可能なら親・子・配偶者が
治療をしないと示すことで
死に近づくという死の形。



例えば
末期のがんにかかって
余命いくらもないと分かったので
延命治療をしないということ。


「消極的」と言われているのは
治療を「しない」という選択をするから。



ここまでで安楽死でも
積極的安楽死と消極的安楽死
あるということを見てきました。


あなたはどう思ったでしょうか。
どちらを許せるでしょうか?
どちらも許せますか?
どちらも許せませんか?


日本ではどちらの安楽死でも
自殺幇助、つまり「自殺を助けた」として
薬を投与した医者が犯罪になるえるのです。
それを次に見ていきます。



日本では


Sakura Cherry blossom Fukuoka
Sakura Cherry blossom Fukuoka / zaimoku_woodpile

安楽死は自分から死を選ぶという点で
「自殺」と同じ。


そして
日本では自殺の助けをすること=自殺幇助
自殺幇助罪として罪になります。


なので
現在日本で安楽死
積極的安楽死や一部の消極的安楽死
自殺幇助罪にあたり法律上禁止されています。



裁判では次のような条件を満たさないときに
医者が延命措置をわざと選択しなかったとき
犯罪になるとされています。


裁判所で言われた二つの例を見てみます。


1962年(昭和37年)の名古屋高裁

1.回復の見込みがない病気の終末期で死期の直前である。
2.患者の心身に著しい苦痛・耐えがたい苦痛がある。
3.患者の心身の苦痛からの解放が目的である。
4.患者の意識が明瞭・意思表示能力があり、自発的意思で安楽死を要求している。
5.医師が行う。
6.倫理的にも妥当な方法である。


1995年(平成7年)の横浜地裁

1.患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいる。
2.患者の病気は回復の見込みがなく、死期の直前である。
3.患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために可能なあらゆる方法で取り組み、その他の代替手段がない。
4.患者が自発的意思表示により、寿命の短縮、今すぐの死を要求している。

結局どういう状況であれば
医者が犯罪にならないか
ざっくりと説明すれば


本当に痛くて痛くて苦しい状態で
もはや治療しても回復はしない末期と分かっている。
医者も手は尽くした。
本人が死を望んだので
残酷ではない方法で
痛みから救うためにするものである
ということ


ラモンの場合はどうでしょう。
彼は回復の見込みはなくても
本当に痛くて痛くてしょうがないわけでもないし
死期の直前であるわけでもない。
コミュニケーションも取れる。
きちんと治療すればこのまま生きながらえる。


そういうことから、
日本ならば法律上は
(そして彼の母国含む多くの国では)
彼には死は許されないし
彼の死を手伝うことも許されないんです。


ただ、ここまでは
あくまで法律の話。
ぼくたちはいったん
法律を抜きにして
考えてみる必要もあるんです。


だってこういうことも出てきたから。



海外で高まる「安楽死旅行」

Romania-1420 - Dinner is Served
Romania-1420 - Dinner is Served / archer10 (Dennis)


最近は、海外でも死について様々な動きが出てきています。

CNN.co.jp : 安楽死のためのスイス渡航者、5年で611人に



スイスでは自殺幇助が
法律でさばかれることはありません。
つまり、犯罪ではない。


だから、
自分の国で積極的安楽死を選べないのであれば
スイスに行って積極的安楽死を選ぶこともできます。




あなたはどうしますか

もう一度ラモンの話に戻りましょう。


いま、あなたの大切なパートナーが脊髄を損傷して
回復の見込みがなくなったと分かり
「死にたい」と言ったとき
あなたなら、安楽死を受け入れるでしょうか。


法律が可決されて
本人の意思でそれが可能になるとしたら
あなたは賛成でしょうか。


あるいは
もしそれが法律で可決されなかったとき
「合法的に自殺を手伝ってくれ」
と言われたらあなたはどうするでしょうか。


そしてラモンは最後どうするのか。


大切なひとの死のあり方は
大切な人とどう生きて行くか
ということを考えるきっかけ。
じっくり考えて行きたいことです。



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