人生かっぽ

人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

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立ち止まってみた

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せわしなく日々が続いている。


それでも、土日くらいはいつもお湯を注ぐだけでかんせーいってやってしまっているコーヒーを、ペーパードリップ式に変えてみて、お湯を注いで、こし出すのを待って、お湯を注いで、また待ってを繰り返しながら、ぷつぷついうコーヒーを淹れてみる。

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働き始めてから毎日まいにち、アウトプットの毎日で、じぶんを毎日絞りきって家路につく。


気づけばiPadを人差し指で触りながら眠りについているなんて夜が多い。


それでも、
程よい緊張感のなかに満足感が流れていて、幸せな環境で過ごさせてもらっているんだなあって思う。








先日、良い言葉を教えてもらう。




「“ 正しい ”という時は“ 一 ”度、“ 止 ”まると書く」


というもの。


ご存知、金八先生の名言である。




「正しい」
という言葉を聞くと、ついつい


「誰しもから認められてもらえる状態」


という感じに聞こえてしまうけれども、そうでもないんじゃないかと思う。






「正しい」


「じぶんの中の信念。曲げられないもの。大切なものの順位」


と考えてみたらどうかな。


毎日まいにち、目の前にやることがあって、一生懸命やっていると、

それが楽しかろうがつまらなかろうが、知らず知らずのうちに、来たボールを無意識に打ち返していることになる。

無意識に体を動かしているとき、ぼくらは「わたし」という意識がなくなる。

つまりそれは、「恥ずかしい」とか「体裁」とか「プライド」とか「理性」とかそういうものだ。

「わたしはこうなので、やります」
「わたしはこうなので、やりません」
そういういろんなことをやる前に「、」の役割を果たしていた「わたし意識」。

その意識が、やることが次々に来る毎日の中では次第に薄くなっていく。


それが良いときもあれば、悪いときもある。



最悪なのは、
立ち止まることではなくて、何か大きな失敗や過ちをおかしてすっ転ぶような止まり方をして、ふっと我に返るとき。


そういうときは、じぶんで立ち止まったわけじゃないから、「あれ、わたしは何をしたかったんだっけ?」と思い浮かんで、わたしという感覚がない状態に突然不安になる。


だから、楽しかろうがつまらなかろうが、できるかぎりわざと、一つ、止まってみる。


たとえばそう、コーヒーをこぽこぽ淹れながら、とか。


たんたんとした動きと風景から、自然と、「わたしは、どんな感じ?」という、自分に対しての How are you ?が始まる。



大地さんは、きちんと立ち止まらないと。すたすた行っちゃうから。



っていつぞや昔付き合っていた人に言われたことを思い出す。



ゆっくりしっとりと流れていく時間が、いまは、それはそれは貴重です。


人生をかっぽしよう

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