「やっぱ好きじゃなかったかも」が口癖の僕とあなたは、きっと好かれてる自分が好きなだけ
「あの好きな人とどうなったの?」
と聞くと、「あの人はね、あんま好きじゃなかった」と言う。
そういう人とよく話す。
なんとなく、自分を好きそうな人ばかりと付き合う。
そういうのを目の前にすると、かつてかけられた言葉を思い出すわけで。
Takoyaki / George Alexander Ishida Newman
「大地くんってさあ、自分を好きになってくれる人のこと、好きだよね」
その女性の言葉に、傷つく。
最近好きだった人から切り替えたという話をした流れだった。
「そりゃだって、ある程度この人行けると思わないと、アプローチできないじゃないですか。全く脈なしの人にいきなり告白してどうするんですか?」
何となく不愉快だったので、切り返した。
「そうじゃなくてさ、最初から自分のこと好きになってくれそうだなって人ばっかり選んで、自分がこの人いいかもと本気で思っても脈なしそうだと思うと、つっこまないよね」
「いや、勝負はさ、ある程度勝率の高いことを選んでいくべきっすよ」
ははは、とぼくがおどけて言うと
「そうなんだ〜」
とだけ、言ってその話はそれ以上は弾まなかった。
そのあと、ふらふらと一人で買い物をしているときにも、彼女の言葉が何度も繰り返される。
自分が本当に大切でそばにいて欲しいものを何が何でも手に入れるというよりは
この世の誰かは自分のことを好きでいてくれるということを確かめたかっただけなのかもしれない。
つまり、自分は誰かに好きになってもらっている自分のことが好きだったのであって、本当に誰か他人が好きだったわけじゃないんだな
と思って。
誰かに愛されることで、自分を確かめたかった、だけなんだなあ。
すっぱい葡萄
あるキツネが木の上に、ブドウがあるのを見つけました。
そのブドウはたわわに実った美味しそうなブドウでした。
しかし何度ジャンプしてもあまりにも高いところになっていたので取れない。
そこで「そもそも、あのブドウは酸っぱいに違いない」
そう思うことにしました。
本当は、そのブドウの味も分からないのに。
そうして、「取りたくても取れないブドウ」を「取るに値しないブドウ」と考えて、取る努力をしない自分を正しいと思うようにしました。
合理化
心理学では、これをそのような名前で呼んでいます。
思えば、この時期の自分は、恋愛だけではなく、万事が万事こういう考え方をしていました。
本当はやりたいことがあるのに、
ちょっと考えると難しいこととか、面倒なこととか、上手くいかないこととか、
そういうことを「向いてないんだ」「合わないんだ」「自分はもっと向いてることがある」とか言って、上手くいきそうなことを選んでラクをしようとしていたわけです。
それが、恋愛にも表れていて。
ちょっとカマをかければ振り向いてくれそうな人ばかりを相手にして。
逆に、心の奥底では本当に好きだなぁと思う人とかを、自分に合ってない部分を無理やりにでも見つけ出して「ほら、やっぱり合ってなかったね」とか考えていました。
結局、弱さでした。
自分を好きになってくれる人がいる自分の存在を、確かめようとしていただけだったわけです。
そういう相手を選んでいると
良いときは良いんですけど
誰しも自分のことをずっと好きでいるわけじゃないから、相手にふと嫌気をさされたときに、とたんに相手に不満を持ち始める。
同時に三人と付き合うみたいなことをやめても、根本は変わっていなかったのかもしれません。
***
「大地くんってさあ、自分を好きになってくれる人のこと、好きだよね」
正しく言うなら、こうでした。
「大地くんってさあ、自分を好きになってくれる人がいる『自分のこと』、好きだよね」
「あの人はね、あんま好きじゃなかった」
あんま好きじゃなかったのは、「私があなたを」なのか、「あなたが私を」なのか。
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