こうしてノートは、ぼくになる
部屋の掃除をしていると、大量のノートに出くわした。
ノートを見ると、ぼくを見ている気持ちになります。
「大きくなったなあ」そう言いたくなります。
ぼくは考え事をするときにノートを開く。
それは思えばずうっと癖でした。
呼吸をするようにノートを書いてきました。
勉強に一生懸命になったとき。
仕事で悩みすぎてすり切れそうになったとき。
恋に苦しめられたとき。
どうしようもなく世の中に何かを叫びたいとき。
そのたび、ぼくはノートに助けられてきた。
涙でしわくちゃになったページもある。
思い返せば
幼稚園・小学校のときにも暇さえあればノートを開いて、
自分の想像の世界を描いていました。
あまりにもそればっかりやっていたので
親が心配してスポーツクラブに入れたくらいで。
高校のとき、初めてバスケを始めて
周りの多くは経験者で
毎日毎日失敗ばかりで、毎日毎日悔しくてペンを取って
「くそ」って書いてある数はもう数えきれなくて。
けど、そうやってノートに何回も相談したりグチを言って
少しずつ少しずつそれでもみんなに食らいついていって
そして、何十名もいる部員のなかでやっとの思いでベンチ入りした。
人類にとって最も偉大な発明は何か、と聞かれれば
ぼくは間違いなく「文字」「ペン」「紙」と答えます。
つまりノートを書けるようになったときに
人類は偉大なことをしたのかもしれない。
ノートが生まれて、人はぐちゃぐちゃした気持ちを手軽に書き、残せるようになり
そしてぼくのノートもそういう風になっています。
ノートはぼくにとって相談相手です。
ノートは目の前にぼくをぼんやりと出現させてくれる。
そして過去のノートを見返すと今度は昔の自分を出現させてくれる。
そうすると自分が少しだけ何だかちっぽけなことで悩んでいたりだとか
ああ、また同じことで悩んでいると思わせられます。
書いている最中は何に役に立つのか分からない。
けれども、それが後になって大事な話し相手になってくれるのです。
ずいぶん、ぼくも大きくなったもんだなあ。
今は主に電子化したぼくのノートですが
それは相変わらず、ぼくのぐちゃぐちゃしたものであり、
それも大事な、ぼくです。