人生かっぽ

人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

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知ってますか?世界一難しくてつまらない問題を

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不思議になって聞いてみた。
「ねえ、どうしてずっと円の面積求めてんの?」
「?」という顔をし続ける生徒。

家庭教師で生徒に四角形の面積から円の面積をひく問題をやっているときのこと。

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(この図は円の半径と四角形の辺の長さの関係がちょっとおかしいけど)

生徒の「?」という顔にぼくも「?」だ。
「楽しい?」
「いやぁ……やらなきゃ…ですし…」
「そっか」



なんとなくつまんないから問題を変えた。
「この時計の黒い部分求めてみて」

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ちょっと楽しそうな顔で生徒が定規を使って半径やタテヨコの辺の長さを求め始める。






以前、子供の頃の勉強の話になったときに秋田の人が
「秋田にはあんまり塾がないんだけど、いっぱい勉強することはある」
「虫採ったり、川で遊ぶこととかが、勉強だった」
と言っていた。

いや、秋田にだって塾はあるから、この人の意見がすべてではないけれど、
一理はあると思った。


ぼくの大学の話で言えば
ぼくは旧帝大の法学部に入ったけれど
比較衡量説や二重の基準論や相続税の論理は学ぶ。
けど、講義で一度も裁判に行ったことはない。被告人の顔も被疑者の顔も彼らがどんな悲痛な思いで裁判してるかも分からない。

それは大学のカリキュラムのせいではなくて。
そういう争うひとたちの顔も見ないのに、大学に入ってしまってるのがまずいのだと思う。
けど、多くの大学生の現状はこれだった。
争ってる人たちも見ずに、論理を議論していた。


幼い頃の五感を使った勉強がぼくらのよく知る「勉強」になると、
「五感で感じるもの」から切り離されて、「理論」「法則」という感じられないものになっていく。

そうすると、
たとえば捻挫した足のように、それに不快感を感じだし、
途端にそれをガチッとした石のようなものに意識し出す。
で、それと向き合うのは、だいぶ体力を使う。


ぼくらが勉強する上で最も難しい問題は、
今もまだ人類を葛藤させる人類の平和実現への解決策でもない。
はるか彼方まで広がる銀河系における宇宙法則でもない。
それは、一辺が10cmの正方形の辺上を、秒速2cmで動く点Pである。

何なんだあれは。
なぜ動き続けるんだ。
誰か早く捕まえて欲しい。


高さ10メートルの塔のてっぺんから、
石を落とす。
重力加速度を9.8とするとき…
いや、この人何してんの。

Is this a public bath ?
No, it's a school.
おい、その学校どんな形してんだよ。



そういう点Pや塔の上の石みたいなことばかりを学んでいれば、
やっぱり大きくなっても、今もこうして変化し続ける五感で感じる人や自然という
現実に感じられるものの中の興味や課題を見つめて、解こうとする力は育ちづらい。

いつまでたっても誰かが見つけた正方形上を移動する点Pが何秒後に正方形を一周するのかという問題を
わけも分からず「必要だから求めて」と言われて求めさせられるだけの人生だ。



ぼくは、現在、
大学受験、高校受験、小学生の勉強、そして社会人の勉強(生産性だったりコミュニケーションだったり)に関わっているけども、
試験があるなら点数が上がり、
評価があるなら評価を上げて
なおかつ、
この勉強することに
「楽しいからやってんだ」
「目の前にあったらほっとけない」
そう言う人が多くなるようにしたいし、だからぼくも学び続けることをやめたくないんです。




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