人生かっぽ

人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

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切ないということ。あの人がいないということ。

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切ない。

という言葉がある。

この言葉の意味を最近よく考える。



記憶のフタというのは、どこにあるのか分からないから注意が必要で。



冬になって、
彼女が冬物の寝間着を出したときの話。

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ふわっと匂った瞬間に手が止まる。

あれ、なんだっけ、この匂い。


匂いの記憶ってのは怖いもので
問答無用で感情を先に思い出させる。

1年前に別れた彼氏。
もうとっくのとうに忘れていたのに
久しぶりに出した冬物には
その思い出の匂いがしっかりこびりついていた。

そういえばそれは彼氏が寝間着としてよく着ていたもので。
別れてから洗濯することすら逃げていたんだと気づく。


そういうことはよくある。


以前もおんなじように「匂いの記憶」を持った人の話を書いた。
www.jinseikappo.com




直感的に何か思い出があると思ってから
寂しいという感情がやってきて、
それから最後に
ああ、そうか、あの人の匂いだ、と思い出す。

匂いの思い出には、嘘をつけない。

あんな人、もうなんとも思ってないよ、なんて言葉は
匂いの前には無力だったりする。


切なかった。


そんな彼女の言葉が、全てだった。


「切ない」



この感覚は本当に不思議だと思う。

「辛い」
というもの感覚よりも、もう少し激しくない感じがする。

「悲しい」
という感覚よりも、少しだけすっと消えていく感じがする。

「寂しい」
という感覚よりも、もう少し痛みがともなう感じがする。



読んで字のごとく
何かが「切」られるという感覚をさす。

ある人とある人が
巡り会って、
親しくなって、
かけがえのない存在になっていく。

最初は他人だった2人が一緒にいると
バラバラだったものが一緒になっていく。

ひとりで使っていた空間がふたりのものになり、
ひとりで使っていた食器がふたりのものになり、
ひとりで使っていた時間がふたりのものになり。

それはまるで他人が自分の一部になっていくような感覚に近い。だから、

逆に一度じぶんの一部になった人がいなくなることは、
自分の身を切られるような感覚に近い。

その人がいなくなった次の日は、
心のどこかがすかすかして、
たまにヒリヒリして、
たまに鈍痛、
たまに激痛を走らせて。

そして、
その身を切られたような感覚は、
別れた人たちにだけやってくるものではなく。


どうしようもなく居心地の良い時間を過ごしすぎた二人が離れたあとにも、やってくる。


切ない。

というのは、そういう意地の悪い感覚。

この感情を表現した人は本当に的確すぎて頭が下がるんだよなぁ。


けど、どうせだったら
そんな感情なんてなくて良かったのに、といつも思う。

どうして楽しかった時間を
「あー楽しかった」という単純な感覚で終わる仕様になってないのだぼくらの心は。


「そうか、だから別れ際の二人はハグをするんだ、
 自分の一部をできるだけ取り戻そうとするために」
と、飲みの席で言ったら
それはうまく言いすぎたバカ、と友人に言われたけど
ぼくはなかなか言い得て妙なんじゃねえのコレとか自画自賛です。


じぶんの一部がなくなったとき、
なくなったことにだけ目を向けるのではなくて、
そこにまた見えてきた未来に目を向けることが大切なのだ。

そういうことを聞いたことがある。

ぼくもそんなふうに考えていきたい。


そんなふうに考えていきたいけれど、

結局何が言いたいかと言うと、

切ないものは、やっぱり切ないから。

「あんな人、もう関係ないから」
と無理くり頭の外に追い出さなくとも
ほろりとくらいには、涙していいんだと思う。



人生を、かっぽしよう