彼女自身に耳を傾けてる
「それでね、マレフィセントがね…翼をね…でね…ってなっちゃうの」
小さな女の子が一生懸命お母さんに話しかけていた。
映画『マレフィセント』の話をしている。
「で、オチは?」などとはお母さんは聞きません。
「うん、うん」と聞き続ける。
そこに嘘くささは何もない。
「聞いてあげる母」を演じているわけでもない。
本当に、彼女の話に興味を示している。
というか、
彼女がいきいきと何かを見ていることを
楽しんでいるようにも見える。
彼女自身に興味を持つということ。
それって究極のコミュニケーション。
何を言っても楽しみであり、驚きであり、感動になるんですね。
彼女が話すストーリーの質がどうこうではなく
彼女自身に興味を持ち、彼女が見る世界に興味を持つ。
彼女が何を見たのか。
彼女が楽しそうなのか。
彼女が今、話している。
その瞬間に、「彼女自身」が聴く価値のあることに変わる。
話す側も、聴く側も、どちらもわざと臭くない
いきいきとした時間に変わる。
それはもう、なんだろうな
役に立つかどうかなんていう狭いやりとりではないんですよね。
親と言うのは、それを備えているのかもしれないな、と。
生まれて来てくれてありがとうとは、つまりはそれで。
そしてそれを僕らは、
ひとつ、愛と呼んでいるのかもしれないと思わせられるんです。