新年度。友達が増える。恋人ができる。
大学生になると、自由が増え、交友関係が増える。
LINEやTwitterの返信に右往左往する。
「かまってちゃん」になりやすくなる。
先日、ちょっと話題になった信州大学の学長の話が、とても良いと思いました。
朝日新聞のタイトルでだいぶ炎上仕様にされ、誤解を生んでいますが、
ぼくはこの学長が言いたいことはこうだと考えています。
「スマホのように一瞬で、さらに外から満たされる楽しさではなく、自分発で考えること、そして考えたことを他人の考えたことと比較することで、自分の考えたことに磨きをかけることこそ、楽しんでほしい」
ぼっち大学生活によって得たこと
ぼくはちょうど、1年前ほどになりますが、こういう記事を書きました。
この記事の中では、自分が二浪した恥ずかしさもある中、友達をつくることをせずに結果的にいろんなことに困ったという話をしました。
しかしその一方で、このような記事を書いておいて思うのは
「無理に友達をつくることをせず、自分一人の孤独の時間を楽しめるようにすべきだ」
ということ。
と言うのは
これは自身のぼっち大学生活によってもたらされた気づきでもあります。
たしかに、ぼっちであることで困りもしましたが、同時に得たことは、
一人で本を読む時間や、物を書く時間、
それから自分の意思で介護ボランティアを始める時間、
それからそれから履修単位については友達に合わせずに自分が本当に面白いと思うものを取り、そして自分の力でテストを切り抜ける学力を得たことなど
このようなことが、ぼっち大学生活によって得られたことでした。
そしてさらに得たことは、
唯一の友人とそうして考えたことを思いっきりぶつけあって、違う意見をもらうことで、自分ひとりでは考えられないことを考えることができたこと。
外国人と権利の話とか、国家意識の話とか、差別の話とか、戦争の話とか、恋と愛の話とか、エロについてとか。あとエロの話とか。
つまり、ぼっちで得たのは
自分が何を考えているのか向き合い、自分自身でそれを「うん、良い良い」と認めてやり、そこまで考えたことを他人と比較しながら、さらに自分の考えをはっきりさせる時間。
かまってちゃん化する大学生
逆に、友達がやたら多い人達の話を後から聞いてみると、やれ「周りの人間関係に巻き込まれるのが面倒くさかった」「飲み会に無理にでも参加して機嫌をうかがう」「友人と一緒だからその授業をとった」とか、そんな感じのどよーんとした不満を聞いて、なんか友達多いなら多いで大変だなと思っていました。
また、浪人生のときにやたら聞いていた話で有名なウワサが
「友達を作りすぎると、落ちる」とか「恋人をつくると落ちる」とか。
これも友達作って悪影響出るパターンです。
自分の中で出た不安を自分の中で処理できずに、まるで薬に頼るがごとく、周りの人間に「ねえ、大丈夫だよね?」と聞いて反応をもらって安心するパターン。
他人の話だけではなくて、ぼく自身の大学生だったときの話もします。
大学生になって恋人ができてからというもの、やたらと連絡回数が多くなり、一人のときだったら自分で何とかした悩みも、
とりあえず「不安だー」とか連絡したり、
「どうしよう」と相談したり、
「どう思う?」と判断にのっかったりして、
その返信や反応を待ち、それに一喜一憂するようになってしまいました。
何かを前に前に自分の強い考えで推し進めていた感覚はありませんでした。
「ただ毎日がある」という感覚。
そして返信を確認して安心する毎日を過ごす。
このときぼくは
いわゆる、
強すぎる承認欲求=かまってちゃん
になってしまっていたわけです。
そして大学生は、自由な時間が多い分、この「かまってちゃん度」が強くなりやすい。
たしかに、周りからもらえる「大丈夫だよ」なんていう言葉の安心感を適度にもらうことは、生きていく力、頑張る力を得るために必要です。
けどそれも、求めすぎ、もらいすぎると、逆に自分を苦しめていきます。
あたかも、水に顔を入れるのが怖くて息つぎばかりしていたら、過呼吸になって逆に苦しむかのように。
孤独な時間を作っていこう
cherry,cereza,kirsche,cerize / ximenacab
何も「ずっと一人でいたほうが良い」と言うわけではありません。
浪人生の例で言えば、友達が多くても、恋人がいても志望校に受かる浪人生はいましたから。
信州大学の学長のスマホを捨てろレベルの強烈なことも言いません。
ただ、少し、つながりから離れて、孤独を楽しんで欲しいのです。
1日5分からでもいいから、スマホは持たず、PCも開かず、周りに知り合いのいない状況で、自分の頭だけで考え、言葉を練り、そして書いていく。
日記を書く、でも十分だと思います。
それをきちんと続けていけば、自分の判断をもとに、動けると思うのです。
***
自由な時間の多い大学生こそ、
「あなたに依って(よって)わたしは存在する」という依存ではなく
「あなたとわたしが共に存在する」という共存こそが
誰かの判断や行動によって一喜一憂されづらい、確かな「わたし」を作っていくのだと思います。
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