愛着とは何なのか、鉄道好きの姿が教えてくれた
昨日、夜の仙台駅のホームでのほほーんと電車を待っていた。
そこに、いつもは見慣れない電車がやってきた。
電車の名前はあまり知らないけれど、見ればその電車が何やら特別なものだってことはわかる。
「何だろう、この電車」
駅に停車した瞬間だった。
駅の階段をどわーっと降りてくる人たちがいて、何事かと思った。
その人たちの手にはカメラがあって、まるでモデルか!ってくらいに写真を撮っている。
一枚とかじゃなくて、ずっとずっと撮っている。
その熱意に「おお、なんだこりゃ」と圧倒されながらも
なんか珍しいんだろうなあと思って、自分もつられて写真を撮ってしまった。
けど、なんか電車を撮っている人のほうが面白いから、ついついその人たちを撮ってしまっていた。
なんか、まるで我が子の運動会でも撮るようなその人たちの姿がとても滑稽で、けどとても愛らしく、とても面白かった。
それは、寝台列車だった。
言ってみれば、無機質な青色の乗り物。
喋りもしないし、動物と違ってこちらが何かをしても反応すらしない。
帰り道の電車で、
あの人たちは一体にしてどうして見ているこっちまで微笑ましくなるほどに、
無機質な青い乗り物に情熱を注いでいたんだろうか
と思った。
いや、きっと珍しいってことだとも思うんだけどね。
けど、珍しいだけじゃなくて
これはたんなる推測でしかないだろうけど、
きっと彼らはこの列車がなくなるってなったら泣くんだろうなあと。
そんな気もしたんですよね。
単なる珍しいものに対して、泣くまではいかないだろう、と。
愛情ってことなんだろうな、と思ったんですよね。
けど、その愛情を向けた相手は無機質なものなわけで。
「心」みたいなものは持っていないわけで。
心ってどういうものなんだろうなあと、ふと。
…多分な 俺が思うに 心ってのはここにあるんだ。
俺とお前がふれ合うとき 心は初めて俺達の間に生まれるんだよ。
心は体の中には無え
何かを考えるとき 誰かを想うとき
そこに心が生まれるんだ
もし 世界に自分1人しかいなかったら
心なんてのは 何処にも無えんじゃねえかな(『BLEACH』268. 「君 死にたもうこと勿れ」)
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漫画『BLEACH』の中のこのセリフはぼく好きでして。
ほんと、そうだなと思うんです。
「心ってのはここにあるんだ」
って言った時、それを話した海燕(かいえん)は、相手と自分の間にこぶしをおくんですね。
心はどちらかの中にあるんじゃなくて、間にあるんだって。
だから、ぼくらはたとえそれが無機質なものや建物であっても、そこに自分が関わり、使ったり、調べたり、触ったりすると、その「関わり」自体が「愛着」になって、「心」を生むんだと、思うんです。
テロリストによって歴史的な遺産が破壊されたりする現代ですが
それを悲しむ人がいるのは、彼らがその遺産の向こう側に誰かを思ったり、遺産というものにに関わっていくからなんだろうなと思うんです。
寝台列車、一度乗ってみたいなあ。たのしそう。
心はぼくの中だけでもなく、相手の中だけでもなく、お互いに向かう関わりの中で出てくるもので。
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