不器用な僕なりに成功するために肝に銘じていること
また、ミスる。それの繰り返し。
ほんと、不器用だ。
「わかりません」
「教えてください」
就職してからというもの、もっぱらこの言葉を言うことが増えている。
3人姉兄弟(きょうだい)の末っ子として育ってきたぼくは、とにかくもう、じぶんで何かをすることをしようとしてこなかった。
シャツのボタンは兄がつけてくれていたし
幼稚園のころなんかは友達がぼくの靴やかばんを出口まで持ってきて、あげく靴をぼくに履かせてくれる始末だったということを、母はぼくによく話した。
そうやって「誰かが何かをしてくれる」という環境は、何も幼い頃だけではなくて、大きくなっても同じだったのだと思う。
黒板の前に立って問題を解くこともすすんで解くことはしなかった。
自信のある問題だけは手を上げて、先生からの評価をもらうだけもらった。
バイトのときも分からないことは話しかけやすい人にばかり聞いていたし、
じぶんがあまり触ったことのない業務は他の誰かに指示してやらせていた。さも、じぶんは分かっていると言わんばかりに。
つまりは失敗したくなかった。
真っ先に手をあげて、誰かの前で失敗して、笑われたり、じぶんのほうができると下に見られるのが嫌だったのだ。
ボタンをつけてもらったり、靴を持ってきてもらったり、かばんを持ってきてもらったりしたぼくは、いつの間にか「じぶんが完璧な状態」が当たり前になっていて、
「失敗しているじぶん」を見せたくなくなっていたのだと思う。
ちょっと難しい問題はぼくの代わりに誰かが黒板の前に出て行っていただいて、ぼくの代わりに失敗していただいて、そしてその失敗を教訓にぼくが成功しようと思っていた。
誰かがじぶんよりも先に前に立ってもらって、
代わりにやってもらって、
みんなの前で失敗してもらって、
それを何度も見て
じぶんだけは失敗しないようにしようと
実験台として他人を見ていた。
性格わる。
もちろん、そうやって自分の代わりに前に立つ人間を実験台としてみるクセが全部悪かったとは言わない。
「人や物事をよく観察する」
というクセは少なくともそうして生きてきたことによって身についた。
あれとこれを比較して、共通していることと共通していないことを見極めて、コツを早めにつかむということは、それなりに自信を持てるようにはなった。
けど。
こういうぼくのような生き方をしてくると、何が問題かって。
明らかに遅いのだ。
遅い。遅すぎる。
コツをつかんだとしも、結局のところじぶんはじぶんで失敗するということに気づいた。
どっちにしても、失敗する。
だから、
2浪してからやっと大学に合格したし、
大学のキャンパスライフを心から楽しめたのは大学3年生くらいからだったし、
仕事に対する向き合い方なんて、
やっとサマになってきたのは、
大学4年を通り越し、
大学院生活を2年通り越し、
1年のフリーター生活を越えてからだった。
その分、おかげさまでいろんなことを見れた。
いろんなことは見れたのだけど
どうしてもいろんなことが周りから考えると制限時間を過ぎてしまっている。
例えてみるなら、テストを解いていて、時間切れになってからやっとベストな解き方が思い浮かび、「ああ!なるほどね!」と書く。
けれども、その頃にはもうテストは終わっている。
そうじゃなくて
もっと早く、大切なことに気づけるようにならぬもんかと、うんうんうなってここ最近考えていた。
そうして気づいたのが
「真っ先に手を上げて、真っ先に失敗しよう」
「そして分からないときは黙ってないで『分かりません』って言おう」
ということだった。
幼稚園からサボってきたので、幼稚園くらいで習ったことの大切さを今気づきました。
「これ、誰かやってみたい人いるー?」と大勢がいるときにでも、「はい!」と手を上げて、さっさと失敗してしまえばいい。
やっていてわからないことがあるなら、大勢がいても「分かりません。教えてください」と言えばいい。
恥ずかしいだけだ。
同僚からは呆れられることもある。
あまりに不器用だからだ。
人がすんなりできるところを何度もミスるし、
人がすんなり理解できるところを何度も聞く。
けど、しょうがない。
それでも、手を上げるし、何度も聞く。
恥ずかしいからって死ぬわけでもないし、損するわけでもない。
大事なことは、さっさとじぶんのものにして、うまくやれるようになって、成功することだから。
だからやっと大勢の中でも手をあげるようになった。
それから、話しかけづらい人にも「分かりません。教えてもらえますか?」と言えるようになった。
まだ、手に汗握りながらだけど。
人生をかっぽしよう
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