大切な気持ちほど伝わりづらくなっていきませんか?
プレゼントって苦手だ。
いつからか、花をあげるようになった。
とくに仕事の関係の方への記念日に。
昨年は6、7回くらいプレゼントしたと思う。
日本人男性で花をプレゼントする人を調べたら、ある調査では70%近くはほとんどあげたことないか、まったくプレゼントしない。だった。
かく言うぼくも、あふれ出る気持ちから自然と花を渡していた、なんて、そんなイケメンな心で花をあげ始めたわけではない。
もともとはプレゼントが苦手なほうだ。
旅行に行ってもお土産なんてまぁ買わない。
彼女ができてもプレゼントを喜んで買わない。
プレゼントしたい気持ちはある。祝福の気持ちはある。
けど、プレゼントを選ぶことができない。
なんというか、いろんなことを考えてしまう。
身に付けるものをあげたら
「え、身に付けるの…やだ」
「なんかずっと一緒だよ的な…?キモチワルイ…」
かと言って食べ物だったらどうか。
「プレゼントに食べ物…?素っ気な…」
「あんまりこの味好きじゃないんだけど…まぁもらいものだからマズイって言えないし…」
こんな感じでずっとぐるぐる考えてしまう。
考えすぎなのだ。
そんなの分かっている。
けど、ついには思考停止してしまう。
ただ、贈りたい気持ちがあるぼくは、悩みに悩んだあげく、花を渡すことにした。
花だったら、身に付ける必要もない。食べる必要もない。
それでも、「え、花…え、キザ…え、自分何様…」みたいな言葉を想像し、すこし萎えたんだけど。
けっきょく何かを贈りたいという気持ちが勝って、花をあげた。
思いのほか、喜んでくれた。
この人、こんなに喜ぶんだ。
って思うくらい、喜んでもらえた。
なんだかそれが嬉しくて、それからというもの花をあげるようにした。
花束を作ってもらうために店でお願いすることは
「お祝い用で」
「3,000円くらいの予算で」
「色はこういう色を中心に」
くらい。
毎回いろんな組み合わせがあるのが面白く、そのうち自分のほうが「今回はこの色、今回はあの色」と、楽しみになってきた。
年をとるほどに思うのは、
「気持ちほど見えない」
ってことだ。
年をとるほどに色んなものに共感できるようになり、ちょっとのことで涙が出たりする。
なのに、年をとるほどに目に見えたものしか信じられず、記憶に残らなくなっていると思う。
花をあげることで思いを伝える文化が、さかのぼれば平安の源氏物語の頃まで行き着くというのも、納得できる。
「あなたを大切に思っている」という大事な気持ちすら、年とるほどに疑ってしまう自分がいる。
人生を、かっぽしよう。
想像力は目に見えるかたちにしないと。