人生かっぽ

人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

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やっと できたみたいです「コミュニケーションの乳離れ」

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その人と、ぼくのことを遠くから見ていると、
きっとまわりの人は「変な関係」と思ってるだろうな、と。
あるいは「おしゃべりなやつだな」と思ってるだろうな、と。



ぼくが呼び出して、ぼくがしゃべるだけのひとがいる。


2891 : Peach!
2891 : Peach! / sakura_chihaya+

「メシ行こうよ」とぼくが呼び出すくせに
メシを食いながら、あのね、と切り出してから店を出るまでに永遠としゃべり続ける。
数時間、ある程度しゃべると、満足して「そろそろ行くか」と店を出る。

その間、相手は「うん」「はあ」「へえ」しか言わない。


そういう関係のひとが数人いる。



おしゃべりなほうなので、ほかのひとでもこれに近いことは起こるのだけれど、
けど、ほかのひとのときはちょっとは気にするので、話をわざとふったりするんですけど。

それすらも、ぼくがしゃべるだけの関係のときは、しなくて。



「そうだよね」も「ちがうんじゃない?」も彼らは言わない。
ただ、ずうううっと聞いている。
けど本当に楽しそうに聞いている。
けど、楽しそうかどうかを、ぼくは気にしていない。

それで、成り立っている関係。


言うならば「コミュニケーションの乳離れ」



思えば、その役割はぼくの場合は母親がやってくれていたのだけど、
そういう存在を、世の中にいる別の人で見つけなければ
(それは別に恋人でも友人でもいいのだけれど)
本当の乳離れとは言わないんじゃないかと最近思うんです。


話を聞いてくれた、そして聞いてくれるはずだと思っていた母親のような存在を、
家族を飛び出してつくることができるのか、どうか。




ぼくはつい最近やっと、できたような気もしますけど。


それは簡単なようで難しくて。

じぶんが話していることを、相手が純粋に聞いてくれているだろうと信じて、
じぶんに対しての評価なんか気にせず話し続けること、
そう思える相手を作ること、
そういうふうに他人をとらえること。

どこかひとつを疑った瞬間に、乳離れできない。
「ほらやっぱりダメそうだ。いちばん聞いてくれるのは母親だけだ」と。
はっきりとは思わなくても、心のどこかで戻りたがる。



なんか男は、それを探す旅をしているような気もするなあ。
いや、男だけじゃないか。




お恥ずかしながら、そろそろやっとできたみたいです。
コミュニケーションの乳離れ。

少しずつ、少しずつ、ですけど。



人生を、かっぽしよう
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