人生かっぽ

人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

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明日?明日が来るなんてサイコロふるようなもんだよ [3.11]

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おやすみ
という一言がずっと重たく感じた。

これが最後の言葉になるかもしれないと、毎晩毎晩、思った。


寝る前に、一度だけケータイの電源を入れる。

メールの受信が始まる。

彼女からのメールが来る。
「こっちは計画停電が始まったよ」
という内容。

とりあえず、今日あったことをメールに簡単に書いて送る。
今日あったことなんて「今日も電気が来なかったよ」なんてことくらい。

今日こそは、今日こそは、と待って、もう5日以上電気は止まったままだった。


だから日中は暇さえあれば人力の手巻きで充電できる充電器を使って、ほんのわずかな電力をため続ける毎日だった。



ほかに書いておきたいこと。


「元気だよ」とか「会ったときこれ食いたいなぁ」くらいのことしかない。

それでも、送る。

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2011年3月11日から。

毎日続く余震と、忘れさせないかのように何度も何度も鳴る緊急地震速報のメール。

日本列島がおかしくなったんじゃないかと思っていた。



少しだけの警戒心を残して、来る日も来る日も目を閉じた。


明日は日本、おかしくなってないかな。



今日は家族が生きて帰ってくるだろうか、と生きているうちに考えるなんて思ってもみなかった。


真っ暗になって足の踏み場もない家の中、家族の「ただいま」という声が明かりになった気がした。

「おかえり」と言って泣きそうになった。


2011.3.11.14:46
大きな揺れと轟音の中、家を飛び出した。

もはやこれは揺れなのか音なのかわからない状態だった。


揺れが落ち着く。

きっとケータイの回線がパンクしてしまう。
無事なことを連絡しないといけない。
家族に連絡。「生きてます」
彼女に連絡。「生きてます」

内陸。
津波の心配はない。


そのあとは記憶がない。

人間っていうのは常日頃は合理的に動いているのだと思う。
合理的に動いているから、後から記憶を合理的に思い出せる。


気づけば、実家から少し離れた民家の前にいた。


2階から煙が出ていて、人が少し群がってる。

「家の人か消防車、電話したんですか?」
近くにいたおっちゃんに声かけた。

「わからない」

2、3人の他の人に聞いてもわからないと言う。

消防車、消防車、あれ、110番?119番?あれ。

何とか消防車に電話した。


その家が建てて間もない家だとぼくは知っていた。

「ありゃ二階は使いもんになんねぇな」
だれかが言った。


玄関先のところに、戻ってきたお母さんが立ち尽くし、顔をうつ向けてしゃがみ込んでいて。

いろんな現実を知らないけど、お母さんが悲しんでるのは理解している小さな子どもさんが、お母さんの背中に手を置いていた。


その残像が日が明けても、毎日残っていた。


頼りにしていた「明日」が、崩れてく感覚。



3月11日から、彼女からの電話は来なかった。

地震があったときに心配して電話してくれた彼女には、いつまで電池が持つかわからないし、いつ電気が来るか分からないから、「生きてれば会えるから、落ち着くまではできるだけ連絡しないようにしよう」と口早に言った。

「生きてれば会えるから」
なんて今まで言うなんて思ってもみなかった。


もう少しやさしい言葉を言えば良かった。


うまくつかめない状況に焦っていたのもあって、ややぶっきらぼうに、自分勝手に言ってしまったことを後悔していた。


いつもはメールで送っていたような内容は、彼女との交換日記のようなものに書いておいた。



落ち着いて会えるようになったら、全部、読んでもらおう。


書けば書くほど、もっともっと前から話したいと思っていたことばっかりが並んでいた。




しばらくして、
知人が亡くなったという連絡が入った。


いつも会う人とかじゃなかったので、悲しみにくれるということはなかった。


それでも、
「今度飲みましょう、マジで!」
なんてテキトーな約束をして終わっていたことを思い出した。


きっと相手もそんな約束忘れていただろうけど。



のうのうと過ごして約束した未来がいつか来るなんてないんだなぁって。






「じゃあまた日を改めて会お!」
と連絡をする。

画面を切って、ケータイをポケットに突っ込んでしばらく電車に揺られていると、何かがじんわり広がっていく。


また、ほんとに会えるのか?



3.11が落ち着いたいまでも、明日また会えないんじゃないか、と思うことがある。

それは紛れもなく
2011.3.11
あの日があったからだと思う。


あの日から、明日を信じなくなった。
明日に何でもかんでもお任せするということをしなくなった。



ぼくらは、一瞬一瞬サイコロを振りながら生きてるところがある。




サイコロはラッキーな目を出し続けて、ぼくらは明日にたどり着いているとしたら?


じぶんから何かを決めなくても
明日がぼくを決めてくれるだろう、
明日に身を委ねよう、
なんて、そんな考えは危なっかしくない?




だから、ぼくが、ぼくを、今この瞬間にできる限り決めたい。



あの日から5年かけて忘れないようになったことは、
充電すること
食べておくこと
ありがとうと言うべき人に言うこと
会いたい人に会うことを、明日に任せないこと。


2016.3.11


人生をかっぽしよう

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