川が氾濫した。悲しんでいる人と笑っている人がいた。
朝5時にメールの不快な音に叩き起こされる。
3.11を経験したじぶんからすると、嫌な思い出しかないような音。
「避難する準備を」
という家族の声もあり、急いでよくわからないまま着替える。
とにかく着替えてから、家の外を見て、驚く。
いつもは床上浸水だろうと床上浸水だろうと、浸水には縁のないじぶんの家も、もはや関係な状態にされていた。
昨日の台風の影響で、扉のむこうがこの地に住んで初めての状況になっていた。
右も左もわからないでそわそわする気持ちは、3.11のときと同じだった。
この状況はじぶんだけなんだろうか、遠く離れたひとたちも同じなんだろうか。
そうこうしているうちに、じぶんの住んでいる
宮城県大崎市エリアの渋井川が氾濫を起こしていることが全国ニュースでバンバン流れる。
幸いにして、渋井川はじぶんのところから数キロ離れたエリアだったので、じぶんとしては難を逃れた。
数百キロちがえば、状況は生き死にほど状況がちがってくる。
午後になってくると、ずいぶんと雨も上がり、ぼくの住むエリアでも、水がひけた。
今は、床上浸水までは来なかったので、それまでひどい後処理でもない。
そういう状況で。
正直なところ。
まわりの状況をたしかめるべく開いたSNSなどで、この状況とは関係なく、
まるでシャンパンのフタを開けたように上機嫌な投稿をしているひとを見ると、
ささくれがぶつかるようにチクチクといらだちが出てくることがわかった。
いや、彼らにほんとうに罪はない。
だれかが笑ってる瞬間に、だれかが泣き沈んでいる。
それが、個人的なことだけではなくて、この国全部が同じ気持ちだろうと思う規模のものでも
現実は意外と冷徹で、じぶんが暗く沈む気持ちのすぐ目の前で満面の喜びがある苦しさがある。
その真逆の状況を、まじまじと実感してしまった。
震災のときは、インターネットも通じず、この状況が見えなかった。
だから、今回はそういういろんな感情が同時に目の前にあらわれて、びっくりした。
罪がないからこそ、すごくすごく、複雑になった。
それでも、ニュースで見て、心配して連絡してくれるひともあり、
その送ってくれた面々の顔を想像するに
きっと、文字を打つときに
「このことばじゃ気持ち汲みとれてないかな」とか
きっと打っては決してを繰り返して、なんてことあったんじゃないかなと思い、
どんなかたちのことばでもいいのだ、
考え、送ってくれることがそれだけで感謝なのだ、と思った。
***
住むだけのひとはいい。
これから農地の復旧が始まる。
田んぼが水浸しになった。
ぼくは水がひければ憂鬱も引く。
けど、水がひけると憂鬱と闘いも増す人たちがいる。
ぼくは近くにいるのに、なんともできずにいる。歯がゆさが少しある。。
だから、まずはこういうことがあるだけでも、知って欲しいと思い、載せます。
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Posted by 勝水 与茶 on 2015年9月11日
人生を、かっぽしよう
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