人生かっぽ

人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

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佐藤ノート№29 〜生き続けることは罪か〜

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苦しさが増してくるほど
自分しか見えなくなる。

張りつめたほうが
見えてくるものがあるから
それもいいが
受験勉強は孤独な戦いではあるけれど
その戦いを支えている人が
かなりいることを忘れがちだ。


僕の母は、
毎日4時頃に起きて弁当を作っていた。
正月以外休んだことはない。

家族はきっと僕の知らないところで
極力気持ちがつぶれないように
家の中でストレスがかからないように
気を使ってくれていた。
自分たちの事情があったにもかかわらず。

お守りを買ってくれた人もいる。

口べたなはずの男友達は
センター直前に激励メールをくれた。

そういうことに感謝することを
深く考えたのは二浪目だった。


しかし一方で感じたのは
良心の呵責だった。

自分が楽をしているとき
自分が何不自由なく勉強できているとき
自分以外の人が自分の代わりに
受け入れていることがある。
苦しさを意識しているかしていないかは
別問題として。

自分のことを考えてもいい時間に
僕のことを考えてくれている。
「人は一人では生きられない」
とはよく聞く言葉だけれど
強く意識されたのも二浪目だ。


ごめん、とは思わないようにした。
そう思ったら、遠慮してしまうからだ。
そんなことを思ったら
罪悪感で何もできなくなってしまう。
息をする事さえ
誰かの酸素を奪ってしまう、なんて。

ひどいように聞こえるけれど
ありがとう、と思うようにした。
でもその代わり
この受験が終わったら
恩返し、と言ったら
大それたものになってしまうけれど
今度は僕が支えてくれた人たちに
幸せな時間を返していこうと決意していた。
そして誰かを「犠牲」にして得たパワーを絶対に無駄にしないのだ、と思った。


生きるって
すごく罪深いことに感じた。
同時に
自分が生きているだけでも
知らないうちに
誰かの支えに
なってあげられているかもしれないことが
すごくうれしかった。




今日も素敵な一日でありますように。