たかが肩書、されど肩書
前回の記事に書いていることと関連したことなんですけども
みんながそれぞれに責任感を持つことが大事だという話を
Funny Padの創設者である蜂谷祐樹君としているときに
彼が言った一言がすごく気に入っています。
「うちは全員が代表という肩書を持っていますよ」
彼はこう言いました。
全員が代表という肩書を持っていると、確かに最終的な意思決定や対外的な問題での意思決定の問題は困ったことが出てくるでしょう。
代表の一人が勝手に物事を決めてしまったり、ね。
それでも、僕はこの考え方はすごく良いと思ったのです。
たかが肩書。
されど肩書。
前にバイトで組織を引っ張って行く立場だった時
後輩の一人の服装が少し乱れていました。
うちはスーツを着て、生徒と接しなければならない職場だったのですが、彼は皮のベルトではなく、カジュアルベルトを付けてきてしまいました。
勿論、彼はまだバイトにも入ったばかりで、スーツの着方何たるやなど分かりませんでした。
しかし、来客からすれば「あの格好・・・」と言われてしまいます。
分からなかったことは覚えればいいので、僕は彼に「そういうベルトはしてくるのは、スーツの着方としてフォーマルじゃないよ」とアドバイスしました。
謙虚な彼は、それでむっとすることは無かったんですが、「いや、はまるベルトが無いんですよ」と僕に言ってきました。
確かに彼は細いんでね、大地納得、となったんですが、それでも外からするとあまり好ましい格好とは言えません。
だから、彼には
「そっか、それだと難しいかもしれないね。けどね、●●君もうちの顔なんだよ」
と言いました。
後に僕がこのチームを離れる時に、彼はこの言葉が一番印象に残っていると伝えてくれました。
そこでは僕らは単なるバイトでした。
世間一般で言うところの「指示されたことだけやればいい人たち」。
けれども、僕らの動きは外部の人からも見えます。
そして、そうした外部の人や生徒から見れば、僕らは「そこで働く人です」
そこの「一番偉い人」と何ら変わりなく見られるのです。
外からすれば、社長だろうが、営業だろうが、バイトだろうが、関係ないのです。
そこで働く全員が、自分に最高のサービスをしてくれるプロ
そう思っています。
後輩の話で言うところ「うちの顔」
と
蜂谷君の言うところの「代表」
は類似した話だと思います。
ひとりひとりが乗組員である自覚を持つ。
よく、跳び箱を運ぶ時に
持っているフリして触っているだけの人がいますが
そしてそれは僕でしたが
そうではなくて、ひとりひとりがしっかり働いていなければならない船を作ることが大事。
そして、全力を出したいと願っている人間が、しっかり力を出さないといけない、それくらいのぎりぎり大きな船を作ること
これが大事です。