震災復興のために「ボランティア」組織に加わっている人たちと話すときに、よくがっかりする発言があります。
「そんなに言うんだったら、まずは自分でボランティアしてみたら?」
そう言われるたびに、この人もか、とがっかりします。
僕は、ボランティアのあり方には懐疑的な人です。
ボランティアの世界はまだ未成熟です。
具体的に言うと、どんなニーズに対してどう対応していくかという考え方に、議論が拡大していない気がします。
賃金のリターンがないから、かえって深刻に自分たちを反省していないのでしょう。
賃金のリターンが問題になれば、リターンが少ないと、どうして少ないのか反省します。それで、もっと顧客の目線になります。
このことについては、後日詳しい記事を書こうとは思いますけれど。
そんな考えを持つ僕なので、「ボランティア」活動をしている人たちと話していると、そのあり方に対して、ちょっときついことを言ってしまうことが多いです。
もちろん、素晴らしい点は、素晴らしいと言った上で、ですが。
当然反論はかなりあります。でも僕は反論受けるのは幸せなことだと思っているのでいいのですが、そんな中でも、どうしても残念だと思う発言が先にあげたものです。
この発言は、反論としてかなりずれています。
僕はニーズに対して的確に応えられていないんじゃないかと言っているのに、これじゃあ、
例えば、ある弁当会社が肉ばっかりの弁当しか扱っていないことを見て、女性はもっと野菜も入ったヘルシーな弁当を求めているわけで、この弁当会社はそこが見えていないと新聞社が批判したとしましょうよ(そんな批判見たことないですけど)
その時に、その弁当会社が
「じゃあ、お前ら新聞社が弁当作ってみろよ」
と言っていることと変わりません。
別に一つの反論として受け取ろうとすれば受け取れますけど、これ受け取ってどうすんですかね?
弁当会社つくりましょうか?(笑)
しかし、僕はずれてるだけならこんなにがっかりしないんですよ。
なんでこんなに残念がっているかと言うと
その発言が、自分たちのやっていることが正しいと、ほんの数ミリも判断の天秤にかけていないで言っているからです。
自分の行動が正しいと自信を持つことは大事です。
僕だってそういう行動をしようといつも心がけています。
しかし、僕だって誰かから批判や反論を受けたら、まずは自分の正義と突き合わせて考えますよ。
それでも自分が正しいと思ったら、それを誠心誠意相手に伝えます。
これがなされなかった発言には、僕はがっかりします。
しかも、わざと言わないようにしていることがあります。
自分が現地(被災地)に結構足を運んで、現地の声を自分で聴いているということです。
先の発言をした人の「ボランティア」が何を指すのか分かりませんが、僕も一応無報酬で現地ニーズの調査はしています。
こういう活動をしていると言うと、反論をもらえないみたいです。
僕はどっちかと言うと自分の活動の正しさを誰かに疑ってほしいんです。
自分の意見が全会一致で正しいって気持ちが悪いから。
ボランティアをしているというと、「完全正義」の称号をもらえるみたいで、恐ろしいほど誰も僕を批判しません。
だから言わないんです。そういう活動をしているって。それでもって、ボランティアの人を批判します。
僕の批判を批判してほしいから。
本当に信念持ってやっている人は、しっかり反論してきてくれて感動すら覚えます。
けれども、そうでなく、先の発言をする人もやっぱりいます。
緊急事態を少し脱した今だからこそ、「ボランティア」の人たちには考えてほしいです。
ボランティアということを前提にして、自分たちは正義だと思っていないか。