決意
やっと色んなことを動かすことができたので、そろそろ書いていいかなと思うことがあります。
本当に個人的なことだから、見ていてそんなに関心が高まるような記事でもないし、この記事で下手にアクセス数稼ごうなんて考えてないので。
僕はずっとくすぶっていました。
大学浪人しているときからずっと。
この社会できっとどっかで僕は必要とされているはずだ。
けど、それはどこなんだ。
何かをして死にたい。
そのフラストレーションは、大学に入ってから色んな形で爆発し、さまざまな人に興味を持ってもらいました。
けれど、何かしっかりしたものができないし、何かから逃げている気持ちは自分の中にはありました。
それは何なのか分からないままでした。
結構前ですが、
大事な人を失いました。
いや、生前はそんなに大事な人だと正直思っていませんでした。
しかし、その人ともう会えなくなると思うと
とたんに色んなことがスポスポ抜けていく気がしました。
病室で会話もできなくなったまま横たわっているその人の手を握ると
なんだかその人の人生が僕の中に入ってきそうでした。
社会的に底辺層と言われるところから
自分の力で事業を興し
軌道に乗せた。
僕と話すときはそんな苦労の色を微塵も顔に出すことはなく
むしろそんな「偉さ」はどこにも漂わせなかった。
そんな人が、弱くなって横たわっている姿を見て
僕は
「やり残したことはあったの?」
と問いかけました。
何も返ってきませんでしたけど。
よくわからないけど
その時になって初めてその人の偉大さに気付きました。
色んな人生の山や谷を越えた人が、今こうして目の前にいる。
そんな感動に胸を打たれました。
まだ、その人が病床で話せる頃に、会話をしていた人が、僕に対してその人がこんな風に言っていたということを伝えてくれました。
「大地の将来が楽しみだ。何になるんだろう」
そう話した本人を目の前にしながら、その言葉を聞くと、強いメッセージをもらったように感じました。
同時に
日々一歩一歩かみしめて生きないと
あっと言う間に人生は進んでいくのだと
身をもって伝えられている気もしました。
「あなたを越えていくから。だから見てて」
その人に伝えました。
見ててくれていると思います。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら言ったから、聞こえていたかは分からないけど。
僕はやるから。
死ぬくらいの恥なんて、死ぬよりはよっぽどましだ。
笑いたければ笑えばいい。