当たり前のことが、いつでもどこでもできるならば、私があなた方の弟子になりましょう
「当たり前のことが、
いつでもどこでもできるならば、
私があなた方の弟子になりましょう。」 千利休
今日も千利休の言葉です。
当たり前のことって一番難しい。
「当たり前のことがいつでもどこでもできるなら?
それができるから当たり前なんじゃないか。何言ってるんだ」
こう言う人もいることでしょうね。
ですが
当たり前と言った瞬間に少し危ないかもしれません。
なぜなら、当たり前のことなんて何一つとしてないから。
確かに、練習することで始めの頃よりも何の気なしにできるかもしれません。
しかし、それは始めの頃よりも「容易」になっただけで「当たり前」とは違うのでは?
こんな経験ありませんか?
いつもはすらっと書けていた漢字が、試験の時に意識し過ぎるあまり書けなくなってしまうこと。
慣れていたはずの車の運転をしている最中に、いつもならしないはずの不注意で事故を起こしてしまったこと。
こんな風に、当たり前のことは、それをやりやすい環境ではきっとできるでしょうが、状況が変わってみたらそうもいかないんですね。
場所が変わったら?
気温が変わったら?
緊張していたら?
あっという間に当たり前のことができなくなるのではないでしょうか。
だから、多少容易になったとしても、一つ一つの行動に注意を払うことは変わらないのではないでしょうか。
できて当たり前だ、と思った時が用心の時なのかもしれませんね。