稽古とは 一より習ひ 十を知り 十よりかへる もとのその一
「稽古(けいこ)とは 一より習ひ 十を知り 十よりかへる もとのその一」
この言葉は、千利休のものです。
多くの場合、この言葉の意味は
稽古というものは一から順に習っていって十に達するけれど、そこから十一とただ単純に進んでいくのではなく、もう一度最初の一に立ち返ると、最初には見えなかったことが見えてくるというものだ。
という風に考えられています。
それに対して間違っているとは思いませんが、この言葉を聞くと違う見方が僕の中ではできます。それはどういうことかと言いますと
「まずは十まで進んでみて、もう一度一に返ってみる」
ということです。
全然変わってねえじゃねえかと言われるかもしれませんが、大事なのは、「まずは」ということです。
多くの人が、一の段階で、全部を把握しようとしているのを、よく見ます。
そして、何を隠そう、僕もそうです。今でも、ふと気を抜くとそんな感じになっています。
勉強をしても、定理や公式に対して、なんでそうなるんだよと突っ込みを入れ続け、全然前に進まないですし。本を読むときも、一行一行理解できないと次に進もうとしないですし。
千利休の言葉からも分かる通り、一というのは、すごく難しいことなんです。最初だからと言って、分かって当然というわけではないんですよね。
だから、ある程度考えたら、「まずは」次に進んでしまう。
進む中で、もしも前のステップが不十分なら、きっとどこかでうまくいかないはずですから。そのときに、返ってきてもう一度考えてみるくらいでちょうどいいのではないでしょうか。
進まないと、楽しくないと思うんですよ。
楽しいと思えば、もっと知りたいという気持ちが、勝手に深く知るために一に戻ってきます。
皆さんの経験でもあると思います。
部活でも、強くなろうとしたら、ひとつひとつの動作を見直しにかかるでしょう。
イチローも、一番こだわっているのは、ストレッチだったり、素振りだったり、基礎です。
きっと怖いと思うんですね、不十分のまま前に進むことが。
落としてきたものを、誰も拾ってはくれないんじゃないか。
もう拾うチャンスなんてないんじゃないか。
でも、意外と世界ってうまく作られていて、それじゃあ前に進めないときが結構多く現れます。
だから、修正の機会って結構あるもんですよ。肩の力を抜いて、楽観的に
「まずは十まで進んでみて、もう一度一に返ってみる」
肩の力を抜いて、楽観的に。