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人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

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「セックスボランティアしたい」恋人がそう言ってきたらどうするだろう

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6「どうして性欲に対してボランティアをする必要があるんだよ」
この本に最初に出会ったとき、そう思いながら手に取りました。


セックスボランティア

セックスボランティア (新潮文庫)

セックスボランティア (新潮文庫)


何となく掴んだその本を戻すことはできずに
そのままパラパラっとページをめくる。
気になる言葉がちょこちょこ出てくる。
ページをめくる。

読むほどにぐっと締め付けられるような、ショックや寂しさや、やるせなさのぐちゃぐちゃしたものに、
言い表しきれない感覚を抱えながら、ページをゆっくりと、けど、どんどん次へとめくっていきました。

気づけば、図書館で借りたいと思っていた本を脇に挟んでその本をずっと立ちながら読んでいました。

読み終わったとき。

「どうして性欲に対してボランティアをする必要があるんだよ」
その理解できないという気持ちが大きく変わりました。


性欲とは、何なのか。
性とは、何なのか。




セックスボランティアへの見る目が変わった瞬間

Apple
Apple / Y0$HlMl


本書で取り上げられる「セックスボランティア」とは
障がいを抱えているために、マスターベーションや性行為が満足に行えない人のため介助するものです。


ぼく自身は、介護者として大学生の頃に障がい者と関わったことがあります。
首から下が自由に動かない方への夜通しの寝返りを介助するボランティアがメインでした。



けれど、障がい者のボランティアをしていた自分からしても、
性のボランティアという点は想像だにしないことでした。



本書の構成としては、
セックスボランティアに関わる人それぞれを
(中には報酬アリで風俗をする聾唖(ろうあ)者も描く)
数章に分けて、インタビューを通して進めていく形式。

年齢も性別も様々。
ボランティアを提供する側、される側
様々な視点でとらえています。


読み始めてから、あ、そうか、と当たり前のことに気づいたこと

「あ、そうか、
 手足が不自由だとマスターベーションもできないのか」
と。


「どうして性欲に対してボランティアをする必要があるんだよ」
その言葉の根元にあったのは
「ひとりで処理すればいいじゃねえか」
という気持ち。

けど、マスターベーションができない。


そこから、一気に見る目が変わりました。
そんな当たり前のことも、自分の常識で見ていたのです。


障がい者と健常者の性は、やっぱりどこかで違うのかもしれない」


だから、
その先には自分がまだ見たことないものが
というか見るべきことが、もっともっとあると思い
そういう自分が次へと、ページをめくり始めたのです。



障がい者の「性」へのコンプレックス

Green apples [2/365]
Green apples [2/365] / DaveOnFlickr


セックスボランティア
と言うと、最近では射精介助のボランティアを主に行う一般社団法人「ホワイトハンズ」が有名です。


ただ、今回は、『セックスボランティア』にも書かれているように
マスターベーションのサポート(射精介助)以外の、どちらかというと「風俗」に近いかたちのセックスボランティアについて見ていきたいと思います。


そうしてみることで、
「性」と「性欲」ということが、よりくっきりと見えてくると思うのです。

そしてそれは、読み進めるほどに
障がい者、健常者、うんぬんの問題でもないように思えてくるんです。



本書の中には、様々なかたちで、セックスボランティアを求める人たちの姿がありました。
マスターベーションのサポート
・障害者へのデリヘルサービス
・オランダのセックスサービス
・子どもは欲しいけど、性行為がわからない知的障害者へのベッド脇での行為のサポート
など

介助の仕方もたくさんあります。


読み進めていく中でだんだんと膨れ上がった疑問。それは


障がい者は身体が動かないからセックスボランティアを求めるだけなのか。

それについては、
本書に登場する
CG協会(慢性病患者と障がい者の利益のために活動している全国組織)
会長であるジム・ベンダーさんの言葉が説明してくれます。

普通は最初に手を握るところから始めますよね。そこから、キスをするようになって、だんだんエスカレートしていく。若いころの数年間、そんな経験を繰り返すことで、どうやって相手と関係をつくるかに慣れていき、本当の性生活が送れるようになります。ところが障害者の場合、人間関係を築く過程を抜かして、ただセックスする関係だけを求めてしまう人も目立つ。身体的に障害をカバーしていくだけではなくて、自分自身を受け入れること、そして、社会的にもっと経験を積む必要があります

(p188)

つまり、障がいを持つ方が抱えているのは、
身体的にマスターベーションをすることができないという問題点よりも
(もちろんそれもあるだろうけども)
身体が不自由であることにより、コンプレックスが大きくなること。
だからこそ
自信のない人間関係をすっとばして性的関係を求めにいってしまう。


人間関係への怖さゆえの、行動のひとつ。


ただ、コンプレックスを抱えて人間関係が怖くなるのは障がい者だけかと言えばそうではなく。
健常者も、コンプレックスを持っています。
病気を抱えているだけではなく、体型や、容姿、家族関係など、様々です。
copy.hatenablog.com


そう考えると、障がい者だけ特別にセックスボランティアを必要とする意味とか意義とかって何なんだろう。


ここで、ジムさんによる、障がい者のセックスを阻む3つのポイントがヒントをくれます。
その3つとは
「Bio」「Psycho」「Social」


three
three / Samantha Forsberg


「Bio」は生物学的な問題だ。勃起できなくなったり、愛液が出なくなったり、オルガスムが得られなくなったりする。
「Psycho」は心理的な問題。障がいを持ったことがすごく悲しくて、自立した生活や仕事ができなくなる。それは心理的に大きなショックで、たとえば、足を切断した女性の場合、「私は美しいだろうか、私とセックスしたいと思う人はいるだろうか」と悩む。義足にすれば歩けるようになるかもしれないが、心理的葛藤は大きい。
…(中略)…
「Social」は、社会性、つまり、人間関係を指す。今まで対等な立場であったパートナーが介助者のような立場になってしまうことで、ふたりのセックスがなかなかうまくいかなくなる。

(p.186)

Psychoのような状況はコンプレックスによって起こることで。
身体的なことで、気持ちが弱くなり、人間関係に臆病になる。

Bioのようなことも、ある。
実際ぼくも一時期経験したことがあって、めちゃくちゃ不安になったりもして。


けど一番の問題はSocialだと思うんです。


Socialはジムさんはパートナーの関係で言っているけれども
パートナーがいない人にも当てはまると思うんですね。
結局のところ、障がい者は「助けられる」立場と見られがちだし、
「相手を満たすことができる存在」とは見られづらくなること。

その一例として
脳性麻痺の伊緒葵さんと健常者ゆかりさん夫婦の会話が印象的。

「障害者が街をぉ歩いているだけで、おばさんとかに、『ご苦労さぁま』と言われる。心の中では『お前もぉだ』って思うけどぉ」
と話すと、ゆかりさんは語気を荒げた。
「電車のなかでもね、おばさんに、『大変ですね』っていわれたんです。私は『大変じゃないわ』って言い返しちゃいました。また、葵のことを『お兄さんですか』って言われたこともあり、『夫です』って睨んでやった。みんな勝手に決めつけるんだから」

(p.212)


こういう世間の見方も、障がい者が、性や人間関係に悩ませる原因なのだろうと思うわけです。




「感覚はないけど精神的にいける」━「性」と「性欲」ということ

Little Apple.
Little Apple. / taka_suzuki


カラダで感じなくても、セックスをするか、
と言われたら、どうだろう。
そんなセックスになんの意味があるんだ、と言ってしまうかもしれない。


重度の障がいを持つ夫婦のセックスについて、書かれたページがあります。

頸髄損傷で鎖骨から下の感覚がない伊藤信二さんと
先天性の脳性麻痺である由希子さん夫婦です。

信二さんは障害を持ってから、一度もセックスしたことがなかった。勃起も完全ではなく、射精もできない。さらに、鎖骨から下の感覚がないので、性器にも感覚がなく性的快感が得られない。しかし、由希子さんと結婚してから性交するようになった。通販で購入したバイアグラを使っている。
私は尋ねた。
「快楽もなく、薬も使い、射精もできない。それでも、なぜセックスするんですか?」
信二さんは少し間を置いて、考えているようだった。そして、こう言った。
「きっと行きずりの相手だったらしないでしょうね。でも、家内は別です。私はほとんど性的な満足感はありません。しかし、自分のできる範囲で相手に喜んでもらえることが私の満足なんです。それにつきますね。感覚はないに等しいのに、精神的にいけるんです」

(p.198〜199)


感覚はないに等しいのに、精神的にいける

「性とは自分が生まれてきた意味を確認する作業である」
(p235)

著者が取材初期に出会った障害を持った女性のことばより

「性とは、生きる根本だと思う」
(p223)

脳性麻痺になり、呼吸困難を防ぐために必要な酸素ボンベを外しながらソープのサービスを受ける、竹田芳蔵さんの言葉より



性とは、なんだろうか。
性欲とは、なんだろうか。


読んできて、考え、見えてきたことがあります。
「性」と「性欲」の違い。
そして、それによってセックスサービスにぼくらが求めているものは違うということ。


ぼくらは、セックスをすることで何を欲しがっているのか。


two
two / Samantha Forsberg



このブログでも以前から
女性用AVについてや、ソフレについて書いて考えてきました。

copy.hatenablog.com
copy.hatenablog.com



「女性用AV」では、これまでの男性主導のセックスへの疑問。
「ソフレ」では、友達以上恋人未満の関係でさびしさを埋めたいニーズ。

これらを通してなんとなくわかってきたことであり
そして今回、セックスボランティアを通してなにやら確信してきたのは
「性」と「性欲」というのは違うのではないか、ということ。
そしてぼくらは、その2つを区別せずにセックスを考えてしまっていないか、ということ。





それを米国の性教育学者キャルデロンは
セクシュアリティ」 「セックス」と区別します。

セックスは両脚の間(下半身)にあるものだが、セクシュアリティは両耳(大脳)にあるものだ」


ただぼくは、この区別がいまひとつしっくりこない。

大事なことは、
相手との快楽を作り出そうとしているかどうか
と思うんですね。


ぼくは、

自分ひとりのみの快楽しか考えないことを「性欲」
相手との快楽を作り出そうとしていることを「性」

と区別したいなと思うんです。


自分ひとりの快楽しか見えていないなら
たとえ恋人との性行為だとしても、
それはぼくにとっては「性欲」であり、

相手との快楽を考えて行為に及ぶなら
たとえそれが性サービス相手との性行為だとしても、
それはぼくにとっては「性」だと考えています。


その点では
ソフレは性を相手に求めているサービスであって
男性AVは性欲を相手に求めているサービスだと思いました。


そして、性サービスでは、「性欲」は満たしきれても、「性」は満たされない。
それは相手の気持ちをお金で買うようなものになるから。
もしも買えても、それは一時の夢物語です。


だからこそぼくらは、
そこに相手への気持ちを乗せる「性」を、
お金や気持ちの伴わない責任感からくる「ボランティア」のようなサービスとして提供することを嫌うんじゃないかと思うのです。


自分の恋人がセックスボランティアをしたいと言ってきたらどうするだろう。
なんて悩む。
相手に気持ちを寄せない「性欲的サービス」なら許せるのか
相手に気持ちを演じるなどして寄せる「性的サービス」は許せるか
あるいは、それ以外か。


 ***


この本の出版年を見て、少しびっくりしました。
セックスボランティア』が書かれたのが2004年なのです。
そこからぼくがこの本を手に取ったのが2015年。
10年以上の時代を経て、何が変わって、何が変わっていないのか。


性と性欲。
この問題はぼくらに今もなお、のしかかっている
と、この本を読んで思いましたし、
性が様々に現れ始めた今、さらに考えることになりました。


ぼくらは何を満たすためならサービスとして提供して良いのか。
そしてぼくらのセックス自体に、きちんと「性」はあるだろうか。

それを考えるきっかけを、この本でもらいました。

セックスボランティア (新潮文庫)

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セックス・ヘルパーの尋常ならざる情熱(小学館101新書)
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