人生かっぽ

人生かっぽ —佐藤大地ブログ

哲学、言葉、人生観、仕事、恋愛、など人生をかっぽするような物語をつむぎます。宮城県 仙台市を主な活動拠点とする佐藤大地のブログです。2014年からEvernote公式アンバサダー。大学院では政治学を研究していました。

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「食っていく」ということが、農業に挑戦してちょっと分かった気がした

田んぼに入る。
秋のちょっとだけひんやりした風が作業でほてった体には涼しい。
雨の影響ですこしぬかるんだ田んぼを踏む。
日差しがどこまで明るくて、空が青く、青い。


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農業を営んできました。

じぶんが働くということについて、そして生活するということについて、深く考えさせられた日になりました。

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立ち止まるという生き方

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「安息日」という考え方が、宗教のなかにはある。


キリスト教で言えば日曜日だし、イスラーム教で言えば金曜日だし、ユダヤ教では土曜日。
その日は、多くは教祖の行いを称え、たっぷりと感謝する日でもある。


日本に生きていると、特別に何かに感謝して休みという日もない。


もともと日本で日曜日が休みというのも、
キリスト教圏から入ってきた考え方だし、
明治政府が考えた政策らしい。

理由は、キリスト教圏のひとたちが日曜日に休みなので、
その国々と交渉する上で日曜日は休みにしたほうが都合が良かった、
なんてこともあるとかないとか


日本は四季折々の変化がはげしい国で、もともと農業をなりわいとする国だから
晴れているときは何曜日だろうと仕事にはげみ、
雨や雪の日などの天候が良くない日こそ休む日だったという考えもある。



けど、ぼくはどっちにしても安息日という休みはだいじだと思っている。



それは、ぼくは休むのが下手くそな人間だからということもある。
すり切れるまで走って、やっと休む必要性に気づくときには、気持ち的にかなりダウンしてしまっていたり。


宗教を持つ人たちは、安息日には労働を禁止されてきた。
台所に立つことすら禁止するものもある。


労働をせずに、その時間を祈りや感謝にあてることで、
「じぶんが何によって生かされてきて」
「じぶんが何のために生きていて」
「これからどのように生きるべきか」
を手を合わせて考える。


特定の宗教をもたないぼくのようなひとも、これは大切なことなんじゃないかな、と思う。


幸福ってのが一定のかたちを持たない現在。
お金があれば幸せとも限らず。
定職があれば幸せとも限らず。
結婚すれば幸せとも限らず。
独身であれば幸せとも限らず。


そうした答えがやんわりと出たり出なかったりしても、
とにかく日々は世の中をまわすひとりとして動かないといけない。


そういう生活のなかで、
一週間のうちに、ある程度の時間は
じぶんの幸福っていうものをちょっと考える。
そんなおおげさではなく
ちょっと立ち止まって考える時間を定期的につくる。

そうすれば
活力が生まれるんじゃないかと思ったり。


「じぶんが何によって生かされてきて」
「じぶんが何のために生きていて」
「これからどのように生きるべきか」



形式こそべつにいいのだと思う。
ひとり、部屋で缶ビールをプシュッと開けてでも。
ただそのときは、ひとりで、しずかに、ゆっくりと。


そういう時間を充実させたい、最近のこと。




人生を、かっぽしよう

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